【完】『龍の倅(せがれ)』
何しろ。
忠宗は父に似ず派手さのない性格で、どちらかといえば武芸と実務を好み、それだけに人を見る目には長けていたようである。
その証拠に。
忠宗の代になってからだが、仙台の城下に裁判所にあたる評定所を設置した。
のちに江戸、鹿児島と並ぶ三大評定所と呼ばれるにいたるのだが、これは忠宗の治世にあって、
「とにかく仙台伊達家が幕府に従順であることを示さねばならぬ」
という忠宗の方針があったからに他ならない。
その忠宗から見て、秀宗という兄はどこかよく分からない面があったというのも、また感じ取っていたようであった。