【完】『龍の倅(せがれ)』
そういった中始まったのは、まず宇和島城の修復であった。
現在の地図からは想像すらつかないが宇和島城は日本では珍しい海に面した城で、かつては堀で鯛が釣れたほど海水を引き込んであった。
そのため総構が五角形になっており、この辺りも築城の名手とされた藤堂高虎らしい普請であったともいえる。
この石垣の一部が大波で崩れ、幕府から許可を得た秀宗は修復にまず取りかかろうとしたのである。