【完】『龍の倅(せがれ)』

ところが。

桜田玄蕃は違う。

まつりごとは民の声を聞かねばならぬ、という政宗のそうした志向を模範としていたようで、桜田はさらに一歩踏み込んだ形で声を拾い、ときにはそれを秀宗に伝えることさえあった。

そのため桜田は下情に明るく、

「民に母のごとく慕われねば御家は立ちゆきませぬ」

というのが持論であった。



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