マドンナリリーの花言葉
「さあ、お召し替えを。そして本館のほうへ来るように言われております。お手伝いしますわ」
ゾフィーが差し出したドレスに着替え、左腕を支えてもらいながら本館まで向かう。目が見えないパウラにとってはゾフィーの存在は不快ではあるが不可欠でもある。
長い庭を抜けて本館に入ると、恰幅のいい老人が杖を突いてふたりを出迎えた。
「歩かせてすまないな、パウラ。ゾフィーから聞いただろう? 君はその娘を抱きしめ、『ずっとここにいて欲しい』とだけ言えばいいんだ。『やっと会えたのだから、離したくないわ』とね。言えるかい?」
皺がれた初老の男の声。まるで寸劇の監督のように、パウラのセリフや動きをすべて決めてきた男。
パウラは従順に頷いた。彼に逆らってもいいことなど何もない。
かつてパウラをここから連れ出そうとしてくれた人がいた。
エーリヒの友人で、ドーレ男爵という。既婚者であったが優しく真面目で、パウラは淡い恋心を抱いていた。
君が幸せになれるところへ逃がしてあげると言われ、パウラは一も二もなく頷いた。画家のベルンハルトへの愛情はもう遠い過去のものとなっていたが、ドーレ男爵とふたりきりの夜の逢瀬と思えば、心が躍るようだった。
本気で、逃げる気はなかった。
あの日馬車に乗り、いくらか走り出したところでパウラは男爵に恋心を訴えたのだ。
男爵は驚いていた。けれど、苦渋に満ちた表情でパウラを拒絶した。
『私はあなたを逃がすために力を尽くします。けれど私があなたを救うことはできない。私には家族がいるのです……』
パウラは絶望した。彼から多少なりの恋愛感情を感じることはあった。
どうせアンドロシュ子爵からは逃れられないのだ。だったらせめて恋しい人と一夜でもいいから過ごしたかった。