マドンナリリーの花言葉
『馬鹿な。人の妻と夜に馬車で会っていたんだ。不倫以外の何物でもないだろう。それに彼女を見ていれば、父に好意があったのは一目瞭然じゃないか』
ゾフィーはしかめつらのまま、それでも黙りはしなかった。
『たしかに、奥様はドーレ男爵に好意を抱いております。ですが、私が知る限り、ドーレ男爵のほうは子供に愛情をかけるような態度で接しておられました。それに、おふたりが閨をともにしたこともございません。パウラ様の事は私がよく存じ上げております』
そうだろうか。
あれだけの美貌の持ち主だ。好意をもって迫られれば父親がのぼせてしまうのも無理はないだろうと思う。
そもそも、他人の妻を深夜に連れ出すなど、常識的にはあり得ない。
『……ではなぜ、あの夜に父は彼女を連れ出したんだ』
『それは……それを知る奥様があの状態なので、真相が分からないままなのです』
ディルクは馬車のほうを振り仰いだ。パウラ夫人は既に乗り込んでおり、馬車の小窓から顔をだしている。
見えているわけでもないのだろうが首を傾げたりと無邪気な様子だ。
彼女はいくつなのだろう。子供のような態度をとるが、実際はディルクよりかなり年上のはずだ。
夫であるアンドロシュ子爵は現在六十五歳の高齢だし、九年前の時点で彼女は後妻とはいえ、すでに子爵夫人なのだ。結婚はできる年だったということだろう。
『パウラ様は何も覚えておられない。ぶしつけなお願いなのは承知の上です。どうか、男爵のふりをしてはいただけませんか?』
『なんだって?』
『パウラ様はどうやらあなたのことを男爵と勘違いしているようです。話しているうちに記憶が戻るかもしれませんわ。私も知りたいのです。あの日、パウラ様に何があったのか。ずっと付き従っていた私が不在の日にどうして男爵と逃げ出したのか。分からないことだらけだったのです。私たちはよくこのあたりを散歩していますの。こうして偶然会ったときだけで構いませんわ。あなたも、事件の真相を知りたいでしょう』