イジワル上司の甘い毒牙
私がお手洗いに行くために席を外していた時に、事件は起こったらしい。
オフィスに戻って見ると、周りの女性社員達がちらちらと落ち着かない様子で私を見ている。
まるで珍獣を見るようにするので、私は嫌な予感に覚悟をしつつ自分のデスクの前に立った。
「……何、これ」
日高さんに一度見てもらおうとコピーしたプレゼンの流れを書いた紙が、黒い水たまりの餌食になっていた。匂いからして、コーヒーだろう。
「ごめんなさい。さっき、つまずいて零しちゃって」
私の近くに立っていた女性社員が申し訳なさそうな表情でそう言った。
でも声は今にも笑いそうに震えていて、私は眉根を寄せた。周囲のデスクに座る何人かの女性社員がこちらを見ては小さく笑っている。
「日高さんに媚び売るからバチが当たったんじゃなーい?」
そこでようやく、認めたくはない事実を突きつけられた。
カッターの刃に引き続き、資料の破損――これは偶然じゃない。故意にしたことだろう。
そう考えると、フツフツと沸き上がってくる怒りに比例するように指先が熱を持って痛みだした。
「……大丈夫です。資料なら、データとしても残ってますし」
溢れそうになる感情をぐっと飲み込んで、私は笑顔でそう言った。
物的証拠もないのに騒いだところで、こちらがバカを見るだけだ。大丈夫。こんなの、私が我慢すればきっとすぐに収まる。