イジワル上司の甘い毒牙


「佐倉千枝(さくら ちえ)さん、だっけ?」


就業時間を過ぎた頃。

労いの言葉をかけながらタイムカードを押して次々と退社していく社員達で少しだけ騒がしくなるオフィスの中、私の人生の就業時間を告げる声がかけられた。


「……………………はい」


昼間あれだけ私の頭の中を支配していた日高春人が、私の目の前にいる。今度は私の妄想の日高春人ではない。本物だ。

返事をして、辺りを見回すと図ったのかは知らないが私達以外にオフィスに残っている者はいない。


「これ、落としてたよ」


優美な動作で胸ポケットから差し出されたのは、白地にゆるい猫の絵が描かれたケースに収まるスマートフォン。

慌ててスーツのポケットに手を突っ込んで確認する。ない。スマホがない。
ということは、確かにこれは私が落としたものだろう。


「あ、ありがとうございます。拾ってくれたんです……ね……」


受け取ろうと手を伸ばすと取り上げられてしまう。立ち上がって背伸びをしても20cm以上の身長差のせいで届くはずもない。

手を伸ばすのを諦めてビクビクと縮こまっていると、日高さんは至極穏やかな表情で唇に手を当てた。


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