イジワル上司の甘い毒牙
「昼休み見たこと、内緒ね?」
告白して相手が去ったあとに吐いた悪態を私がたまたま聞いてしまったことだろう。
すぐに理解して首がもげそうなくらいに勢い良く縦に振ると、私の勢いに少しだけ動揺したらしい日高さんがビクリと肩を震わせた。
「い、言いません。誰にも言いませんから」
一刻も早くこの場を立ち去りたかった。
就業時間を過ぎたといっても誰かが戻って来ない確証はない。
アイドルのように女性社員から異常な人気を誇る日高春人と仕事以外で話しているところを見られたら、明日から私のあだ名は「身の程知らず」になるだろう。
私は平凡に過ごしたい。誰にも注目されず、することもなく目立たず静かに仕事をしたいだけ。
顔から血の気が引いて手が震えてくる。
見兼ねた日高さんは少しだけバツの悪そうな顔をしたけど、すぐにニッコリ笑って私の手にスマートフォンを握らせた。
「良い子」
髪の毛を優しくひと房すくわれて、耳元で囁くようにそう言われた。
自分の身に起きていることが理解出来ず呆然と立ち尽くしていると、いつの間にか日高春人の姿はなかった。
「……何あの人。怖」
ハッと我に返って思わず口をついて出た言葉は、誰もいないオフィスに溶けて消えた。