イジワル上司の甘い毒牙
「日高、さ、」
「佐倉さん」
真剣な声で名前を呼ばれる。
日高さんの腕の中で大人しくしていた猫が、驚いて飛び降りた。
私の手首を掴む方とは逆の手で、日高さんは、前髪を避けるようにして、私の額に手のひらを押し当てた。
近付いてくる綺麗な顔に、キスでもされるのかと身構える。
「前髪、伸ばしてるの?」
しかし、彼の口から発せられたのは予想とは全く違うものだった。
「……ま、まえがみ……」
「邪魔じゃない?切らないの?」
目を覆うようにして伸びた私の前髪を、日高さんは指先でつまんで物珍しそうに覗き込んでくる。
「……い、いいんです。これが落ち着くから」
学生時代はスポーツをしていたこともあって前髪は短く切り揃えていた。
でも、社会人になって、人前に出る機会が減ったこともあり、いつの間にかこの長さでいることが落ち着くようになってしまった。
誰かの目を見つめなくて済むから。目が合っても、よく見えないと言い訳すればいいから。