幸田、内緒だからな!
「直紀がまだ話していないようだから言うが、この子には縁談の話がある」
「会長、その話はあとで僕から話します」
「いや、もう何日経つと思っているんだ。わたしが来なかったら、お前はこのままにしておくだろうが。だからわたしから話す。早瀬さん、君も知ってる通りこいつは未だに結婚しない。過去に何度か縁談の話はあったんだが、どうしても首を縦に振らないんだよ。だけど、もう35歳。そろそろ身を固めてもらわんと困るんだ。跡取りも残してもらわんといかんしな」
「だから会長、僕の好きな人は彼女だって言ってるじゃありませんか」
「お前、この人を伴侶にするつもりか?」
「はい」

 直紀は、迷う事なく即答した。
 だけど、素直に喜べない。
 まだプロポーズもしてもらった事がないのに、急に伴侶とか言われても実感がない。
 それに会長はきっとわたしの事を認めてはくれない。

「君は、秘書の仕事以外の事はどれだけ出来る?」
「えっ?」
「家庭の事、茶道や華道、その他社長婦人としてしっかりとこいつを支える事が出来るのか?」
「会長、そんな事急に言わなくてもいいでしょ。結婚してからゆっくり学んでいけば」
「縁談相手の華子さんは、それが最初から出来る人だ。おまけに留学経験もあり語学も堪能だ。これからは海外との取引があるかもしれん。そんな時、この子は堂々としていられるのか?」

 消えてしまいたかった。
 無理だよ。
 わたしにはそんなの無理だよ。

「この子の顔を見てみろ。自信はなさそうだな」
「会長、いい加減にして下さい。僕は、世間体や会社を大きくする為に結婚するんじゃない。彼女の事を心から愛しているからするんです。何も出来ないところからスタートしたっていいじゃないですか。それに、彼女に無理はさせたくない。僕のそばにいてくれるだけでいいんだ」
「直紀、会社のトップという者はな、それだけじゃいかんのだよ。母さんを見てみろ。わたしは母さんの支えがあったからここまで会社を大きく出来たと思っている。彼女は何でも出来る人だ。お前の結婚相手もそういう人がいいのだよ」
「父さん、あなたは母さんの事を愛して結婚したんじゃないんですか?」

 今まで会長と呼んでいた直紀が、父さんって言った。
 会社の会長としてではなく、父親と息子して向き合おうとしていた。

「もちろん愛しているさ。だがな、愛だけじゃ駄目な時もあるんだ」
「……」
「だから、わたしがこの人だったら間違いないって思える華子さんと、一緒になってくれないか。早瀬さん、君には大変申し訳ないと思っている。だが、直紀の事は諦めてくれ。話はそれだけだ。それじゃわたしは帰る」

 そう言って、会長は最後のお茶を飲み干すと、社長室から出て行った。
 呆然と取り残されるわたし達。
 このままでは、直紀の縁談が進んでしまう。

 そう思った途端、わたしは会長を追って、部屋を飛び出していた。
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