幸田、内緒だからな!
こうして社長とわたしは、応接室に入った。
「社長、お疲れ様でございます。本日はお忙しいところ、お呼び立て致しましてまことに申し訳ございません」
「支社長、そのバカ丁寧な挨拶は止めて下さいって、いつも言ってるじゃないですか」
「いや、そう申されましても、長年の癖はなかなか抜けないと申しましょうか、これがわたくしの話し方でございまして」
「もういいです。それじゃ、報告書を見せて下さい」
「はい、かしこまりました。こちらでございます」
支社長の牧園さんは元銀行員で、支店長まで務めた方だ。
銀行で長い間お客様に対して丁寧な言葉遣いをされていたようで、その話し方が直らない。
もうすぐ55歳になる牧園さんは、社長のお父様、つまり会長のお知り合いで、48歳の時に一度心筋梗塞で倒れた。
それ以降、銀行でストレスのかかる重要な仕事を続けるのが難しくなり、そんなに忙しくない……って言ったら語弊があるかもしれないけど、銀行に比べたら勤務時間も短く、体調が優れない時には休みやすい環境の我が社に、社長がスカウトしたのだ。
お金に関する事はさすがのスペシャリスト。
社長も相談するほどの実力者だった。
今日は、埼玉支社でちょっとした問題が発生し、社長が呼ばれた。
本来なら支社長が出向いて来るはずだけど、実際にここへ来て、社内を見て回りたいと言ったのは社長だった。
という事で、行きがけの車の中で危うく発情しちゃいそうになっちゃったんだけど、2人っきりになれるチャンスをもらえて(本社では、秘書課の中に5名ほどの社員が机を並べている)ラッキーだった。
支社長から話を聞いた社長は、その後埼玉支社の各部署を見て回った。
久しぶりの社長の登場に、男性社員は緊張の色を、女性社員はまるでイケメン俳優が来たかのようなキラキラした瞳で社長を見つめていた。
やっぱり誰が見てもカッコいい社長。
社内にわたしが彼女だと言う事がバレたら、大ひんしゅくをかいそうだ。
どうしてあの子が?
あの子、ブスじゃん。
わたしの方が絶対社長にふさわしい。
そんな声が聞こえてくるのはわかっている。
だから、絶対にバレたくない。
最初は彼からの提案だったけど、最近はわたしからくれぐれもバレないようにと釘を刺している。
付き合いが長くなると、ついどこかでポロッと彼が話してしまうかもしれない。
そのいい例が幸田さん。
どうして彼の前だけでは気を許すんだろう。
すごく困るんですけど。
はぁ。
帰りの車でも、野獣になっちゃうのかな?
誰もいないところでは、どんなに野獣になってもかまわないから、第三者の前では止めて欲しい。
愛してくれているのはじゅうぶんわかっているから。
という事で、1時間ほど支社の中を回って、わたし達は車に戻った。