Real Emotion
「カノジョ、名前は?」
「日下部茉莉子です」
「お仕事は?」
「NAL航空に務めてます。えっと・・地上勤務ですけど」
「NALって・・・ああ!それでヒデと」
「はい、まあ」
「地上勤務かぁ。残念だな。君が客室乗務員ならどんどん飛行機に乗るのに」
「ぜひ乗ってください。当社の乗務員は私など足元にも及ばない素晴らしい人材ばかりです。
快適なフライトをお約束いたします」
「へえ。悪くないね。そういうあしらい方。もしかして日下部さんって、広報担当かなにか?」
「いいえ。私は人材開発が主な業務です」
「人事畑か。優秀なんだ。今、何歳?大学はどこ?何を専攻してたの?」
「冴島、そのくらいにしておけ」
話を終えた久野が戻ってきた。手近にあった椅子を引き
私の右側に座り左手を私の背凭れに置いた。
「なんで?プロフィールくらい聞いたっていいでしょ?」
「これ以上 日下部をリサーチしても無駄だ」
「どうしてさ?」
「彼女は売約済みだ」
へえ、そうなの?!と感嘆の声を上げた冴島の驚いた瞳が私へと向けられた。
そうなの?と言われても・・・
どう応えていいものかと戸惑ってしまった私はやっぱり曖昧に笑うしかなかった。
「でもさ、売約ならキャンセルの可能性もあるでしょ」
そんな可能性があるかないかなんて、売約されたらしい私に分かるわけがない。
そういうのは売約したらしい本人に聞いてもらいたい、と視線を久野に向けた。
「それはない。絶対にな」
「絶対?おかしいな。そんな事、どうして君が言い切れる?」
「買い手は俺だ」
「は~ん、そんなハッタリは効かないよ?君がNALに出向いたの、今日が初めてじゃん。
彼女と会ったのだって今日が初めてだろ?」
「いや、日下部との初めては今日じゃないんだ。な?」
な?と言われても・・・。
確かにそうでも、初めての出会いがあんなだっただけに返事に困ってしまう。
もう私の事はいいから!と思っても言えず、苦く笑って誤魔化した。
「ヒデ。部下に自分に都合のいい回答を強いるの、よくないよ。パワハラだよ?」
「何がパワハラだ」
「いいんだよ?日下部さん。いくらヒデと一緒に仕事してるからって無理に話をあわせなくても」
「あ、いえ、そういう訳じゃないんですけど・・」
「冴島、もういいだろう。日下部が困っている」
「ズルいよね、君は!いつもそうやって大人ぶってカッコつけて」
「格好って、あのな・・・冴島」
「ナンだよ?」
「この際、はっきり言っておくぞ。彼女には手を出すな」
「何の権限があってそんな事を?」
「彼女は・・・茉莉子は俺の女だ」
「は?」
「日下部茉莉子は俺の女だ」
「ウソ!?」
「嘘じゃない」
「君に聞いてないよ。彼女に聞いてるの!」
「えっ?!」
ここで「はい。そうです」とケロッと答えられる度胸があれば
私の人生はもっと変わっていたかもしれない。もっと出世して、恋にもポジティブで。
でも言えなかった。恥ずかしさと照れが先に立って居た堪れなくて
口篭りながら俯いてしまった私の肩をふわりと久野の左腕が抱いた。
「茉莉子」
え?と小さく答えて顔を上げると顎をくいっと持ち上げられて唇が重なった。
「っ・・・!」
不意打ちの予期せぬキスにうろたえて目を閉じることも抗うこともできず
されるがままでいた私は、彼の舌先が触れ合う唇の間に滑り込んだその感触に
ようやく正気に戻った。
他の人が間近で見ている前でディープキスをするなんてあり得ない。
恥ずかしすぎる・・・!と体を強張らせ捩って抵抗してみたけれど
ここがどこで今がどういう状況なのかを承知しながら
あえてこういう事をしている久野の戸惑いの無い力に深く抱き込まれてしまっては
咄嗟の思いつきでしかない非力な抵抗など効果は無く
観念した私はきつく目を閉じて彼に体を預けた。
「わかった。わかったから!もういいよ」
その声に久野の唇は名残惜しげな小さな音を立てて私から離れていった。
彼の唇に薄く残るルージュが淫靡な彩りを添えているようで、私の羞恥をさらに掻きたてた。
焦ってそれを指で擦り取ると、その指を久野が捕らえて微笑んだ。
「気にしなくていい」
「でも」
その甘やかな視線の中にも私を捉えたままで指先にキスをした。
逸らされることの無い視線と艶めいた仕草に体が熱くなってしまう。
「どうせすぐまた・・・な?」
「そんな・・・」
また返事に困る恥ずかしい事を。
今日の朝の突然過ぎる再会から今まで、この男に振り回されてばかりだ。
私はどうにも男に振り回される星の下に生まれた気がする。
でもそんな運命も相手がこの久野英俊という男なら悪くないと思う。
振り回した挙句、放り投げるのではなく、この人はきっとしっかり抱き止めてくれる。
「茉莉子」
「はい」
「・・・茉莉子」
愛しげに何度も私を呼ぶ彼の声に陶酔して、また寄せられる唇に目を閉じた。
「ちょっとちょっとー。ボクがいること、忘れてない?」
冴島が呆れたように声を上げた。
「・・なんだ。まだいたのか?」
「まだって・・・!あんまりだよ、それ」
「もう帰っていいぞ。用は済んだ」
「はいはい、わかりました。お邪魔虫は退散するさ。後はお好きにどうぞ」
「あ、鍵はデスクの上に置いておいてくれ」
「はいはいはい」
冴島は やってらんないよ、と首を振りながら
ポケットから出した鍵をデスクの上に放り投げると
こちらに背を向けたまま小さくバイバイと手を振って出て行った。
「いいの?」
「ああ」
「ちょっとやりすぎじゃ・・・」
「いや、このくらい牽制しておかないと後が厄介だからな」
「厄介、ね・・・」
「何が言いたい?」
「いえ、別に。何も」
アナタも相当厄介ですけど、とは思っても言える筈もなく
類は友を呼ぶというのは本当だと苦笑いをして
掴まれたままでいた手を解こうとしたら、さてと・・・と呟いた久野に
逆に手を掴みなおされ強く引かれて、私は彼の膝の上に引きずり上げられ
座ったままお姫様抱っこされているような体制になった。
「なに?!」
「邪魔者もいなくなったことだし・・・」
ニヤリと笑って眼鏡を外した久野の瞳の奥に宿る妖しい色に胸騒ぎがした。