Real Emotion
5 さよならがくれた真実
「久野英俊 Hidetosi Kuon」と記された下にある
11桁の番号を半分まで押したけれど
そこから先が続けられずにスマホをテーブルに置いた。
一時の心地よさは儚いもの。朝が来れば醒める夢と同じだ。
何度そこへ逃げ込んでも、現実は何も変わらない。
今、私が会うべき人はこの人じゃない。
私が本当に会わなくてはいけないのは・・・
アイツだ。もういい加減に決着をつけなくてはいけない。
置いたスマホを手に取り、考えて考えて考えて
「さよなら」 とだけ打ったメールをアイツに送信した。
勿論、これだけで済ませるつもりはない。
メールで一呼吸置いたのは直接話す時にためらってしまうだろう、その刹那を封じるため。
結論を一番先に突きつけることで退路も断った。もう戻れない。
そうしなくては前に進めない。
「我ながら、情けないわ」
あの夜、久野と言う男は私を女将軍だと例えたけれど
私はそんな猛者でも勇者でもないごく普通の女。
恋人に不満はあっても、いざ別離となると思い切れない臆病な女。
ううん、違う。本当は臆病なフリをした狡い女。
アイツは模範的な恋人ではないけれど、とても魅力的だ。
キュートなワイルドさは心憎いほど女心を揺さぶる。
それに天賦の才能としか言いようの無い稀な力を存分に発揮して
プロのサッカー選手として世界で華々しく活躍している。
中学の先輩だった私にずっと憧れていたと告白をしてきたのは
プロチームとの契約が決まった時。
もう一人前だから後輩じゃなうて男として見てくれ、と
大きなバラの花束を持って私の前に現れた。
胸が躍った。大人になった彼は私よりもずっと身長も高くなって
頼もしくてカッコよかったから。
そんなアイツを恋人にしている優越感。
それを失うのが惜しくなかったか、と言えば嘘になる。
彼の知名度が上がれば上がるほど、くだらない優越感が
純粋にアイツを想う気持ちを少しずつ濁していった。
そして年下で奔放なアイツに、物分りのよい恋人として愛情を注ぐ事が
幸せだと思うようになった。
それがまるで私の使命であるかのようにも感じて
そんな大人ぶった自分に酔っていた。
「バカよね。本当に・・」
でも酔いはいつか冷めるもの。冷めたら現実が見えてくる。
その時が来ていたのを思い知らされたのはあの「久野」という男に出会った夜だった。
強く乞われて、激しく求められて、深く包まれ優しく護られるような抱擁に
安らかで穏やかな気持ちになった。こんな事は初めてだった。
仮初めの戯れだというのに・・・
強く逞しい腕の庇護の下で感じる安堵感と
じわじわと解され暖められていくような心地よさが
愛されている事を実感させてくれた。
本当はずっとこんな風に愛されたかった。
互いを深く信頼し大切に慈しみ愛しあう。そんな関係になりたかったのに
アイツは愛することより愛されることを強く望んだ。
ねえ、そうでしょう? 篤。
その心の呟きが聞こえたかのように鳴り出したスマホの
ディスプレイに浮かび上がったのは篤の名前だった。