gift
いつの間にか演奏は終わっていて、ささやくようなその言葉は、とてもはっきりと聞き取れた。

この子も、私も、湊くんにとって悪いものじゃない。
私がどんなに強がっても、冗談で誤魔化しても、湊くんはいつも核心に触れる。
だから安心して、大切なことを胸のうちにしまっておける。

「湊くん、酔ってる?」

「だから酔ってるって」

湊くんのわずかな微笑みはやさし過ぎて涙が出た。その目に湊くんが紺色のハンカチをあてる。

「あやめを背負って、その子を抱っこしたら、冬でも寒くなくていいよ」

妊婦ってすぐ涙もろくなってダメだな。
グズグズに泣き崩れそうで、このままじゃ有坂さんに迷惑をかけてしまう。

ちょうどその有坂さんが「一分だけ!トイレ!」と、なぜか花束を抱えて走って行く。

「私もトイレ行ってくる」

涙を拭きながら会場を出た私は、けれどすぐに涙なんか忘れてしまった。
トイレとは逆方向のエレベーター前で、とんでもないものを目撃することになったからだ。

「湊くーーん! すっっごいもの見ちゃった! あれは一分なんかじゃ戻って来ないよ!」

大声で報告しながら半ばスキップで戻る私を見て、湊くんが珍しく慌てて私を抱き止める。
こうして抱き合うことすら、もうどのくらいぶりか。
せっかくなので深く呼吸して、ちょっと湊くんの匂いと感触を堪能してから離れた。
本当はもっとくっついていたかったけど、さすがにお腹が苦しい。

「しっかりしてよ。これじゃ俺が遠慮してる意味がない」

「遠慮? してたの?」

「身体に負担かけたくないから、なるべく触らないようにしてる」

距離を感じてたのは、過度な遠慮だったらしい。
そんなに気を使う必要はないけれど、残念ながら今はまだ思う存分抱きつくこともままならない。

会場では「50秒ー、1、2、3、4、5、6、7、8、9、10!」と秒読みがされていたけれど、やっぱり有坂さんは戻って来なかった。

「あのね、有坂さんね、」

そっと耳打ちすると、湊くんは深い溜息をついた。

「あー、いいな。長いよ、妊娠」

つまらなそうに俯く姿は、ずっと変わらない重苦しい前髪と存在感たっぷりのメガネ。

「湊くん、格好よくなったね」

「どこが! この前白髪発見したよ。苦労してる、俺」

やっぱり、どこを取っても私はこの人が好き。中身も外側も。白髪だって全部全部。








end



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