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居酒屋やコンビニから漏れる明かりが、私の顔を照らす。
泣き腫らしてしまった目をさらすのは恥ずかしいので、俯いてたらたらと駅に向かっていた。
「その顔で電車乗るの?」
数m後ろを、同じ早さで湊くんがついてきていた。
顔は見えないけれど、声には笑いが含まれている。
「まさか。駅前でタクシー捕まえる。だから帰っていいよ」
湊くんが隣に並んだので、すでに見られているくせに往生際悪く顔を背けた。
「今井さん送らないと課長に怒られる」
「いいよ、別に。湊くんなんてどうせいなくなるんだから、課長だって怒れないでしょ」
本当はうれしいくせに、離れたくないくせに、拗ねる子どもと同じように気持ちとは逆のことばかり出てくる。
でもきっと湊くんは、ついて来てくれると思うんだもの。
ゆっくり歩く私に歩調を合わせて、湊くんは少しだけ前を歩く。
それはきっと、通行人から私を隠してくれているのだと思う。
「ねえ、課長から聞いちゃったんだけど、『時間が欲しい』って何のため?」
「いつか話すよ」
「また秘密主義! 『いつか』なんて忘れちゃう! 課共有データのパスワード並にすぐ忘れちゃうから!」
「それ、本当に覚えないよね。今井さん」
だっていつでも湊くんがいたから。
定期的に変わるパスワードは、アルファベットと数字が不規則に並んでいて、ほとんどの人はセキュリティ上問題だと知りつつも、覚えるまではどこかにメモしていた。
でも湊くんはいつもすぐに頭に入れてしまうから、湊くんに聞けばいいやって、私はメモすら取っていなかった。
『いつか』なんて、来ない日を指す言葉のように遠い。
景気回復の兆しは、タクシー業界にはまだ訪れていないらしい。
駅前には客待ちのタクシーがずらっと並んでいて、ほとんど待たずに乗れた。
暗い車内でなんとなく会話もしないまま、時折運転手さんのこぼす愚痴のような天気の話に相づちを打つ。
湊くんはというと、それすらせずに窓の外を流れる景色を見ていた。
何気なく置かれたその右手が、私の左手のすぐそばにある。
手を伸ばせば届く距離にいたのに、それすらなくなってしまう。
そう思ったら、左手が吸い寄せられるように動いていた。
跳ね返されることを覚悟で、湊くんの手に手を重ねる。
その手はビクッと一瞬震えたけれど、予想に反して跳ね返されることもすり抜けられることもなく、私の手とそっと合わせるように、手のひらを返して上に向けた。
握るというほど強くなく、繋ぐというほどの意志も持たない、儚い接触。
そのぬくもりに、私の呼吸は止まった。
顔を見上げても相変わらず外を見たまま。
外を通るバスの車内灯や車のライトが強い光を放っていて、窓ガラスにも顔は映っていない。
後ろ姿だけでは、湊くんが何を考えているのかなんて、わかるはずもなかった。
「ここを右でいいのかな? そろそろこの辺ですよね? あれ? すみませーん!」
運転手さんの声にさえ、しばらく反応できないくらい、私の感覚は左手だけに集中されていた。
だけどそれもほんの数十秒程度。
通りを入れば、すぐそこが私のマンションだ。