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『器用じゃない俺は、将棋以外の何かと両立することができなかった。
奨励会という特殊な世界にずっといて、まともな社会生活もしてきていない、学歴もない、そんな二十六歳ってどう思う?
きっと誰だって引くと思う。
だけど奨励会を退会した俺は、世間の目さえ考える余裕はなく、ずっと実家の部屋に引きこもっていた。
最初の頃は髪も切らず、髭も剃らず、風呂にもほとんど入らず、ひたすら後悔ばかりしていた。
もっと勉強していれば。
もっと時間があったら。
もっと早く将棋と出会っていたら。
もっともっともっと才能があったら。
こんなことになるなら、早めに奨励会なんて辞めていればよかった。
そもそも奨励会になんて、入らなければよかった。
将棋なんてやらなければよかった。
生まれてこなければよかった。
もう二度と、駒には触らない。
しばらくすると考えることもしたくなくなって、とにかく部屋でゲームをしたり、漫画を読んだり、時間をつぶすことばかり考えていた。
死ぬまでの間、早く時間が過ぎてくれればいいと思ってた。』
『俺の人生は余生だから』
いつだったか湊くんはそう言っていた。
単にやる気がない発言だと思っていたけど、紛れもない真実だったのだ。
湊くんの人生の中心は“将棋”で、それ以外はどうでもよかったのだろう。
長い長い余生を、湊くんはどう思って生きていたのだろう。
『その頃、師匠が亡くなった。
奨励会に入る時には、必ず誰かプロの棋士に師匠になってもらわなければならない。
将棋を教えてもらうというより、身元引受人みたいな存在なんだ。
実際、師匠から将棋を教えてもらったことは、ほとんどなかった。
ご自宅にお邪魔しても、ご飯をごちそうになるだけ。
それでもいつも気にかけて見守ってくれて、時には厳しい言葉もくれる、とてもありがたい存在だった。
奨励会を辞めた時に挨拶はしたけど、その時にはもうだいぶ具合が悪そうだった。
それなのに、一度も見舞いに行かなかった。
久しぶりの外の世界で、俺はどこにも身の置き場がなかった。
ちょうど梅雨の晴れ間の穏やかな、暖かくも強い風の吹く日で、切ったばかりの髪の毛を風が抜けていく。
本来なら、とても気持ちのいい日だったに違いないのに、季節も時間もよくわからなくなっていた。
師匠の遺影を前にしても、全然実感なんて湧かない。
だけど当然たくさんの棋士が弔問に訪れるから、そんな状態でも話しかけられる。
それがいやで、焼香だけ済ませて逃げるように元の道を引き返す俺に、たまに師匠の家や道場で見かけたことのあるおじさんが声を掛けてきた。
「湊純史朗くんだよね。越前先生から話は聞いてたよ。今何もしてないなら、うちにおいでよ」
って、のんびりした声とは違って、かなり強引に連絡先を交換させられた。
それが社長。
師匠と親しかった社長は、師匠の心残りを引き受けようとしてくれたんだ。
何も言わなかった師匠は、今の俺をどう思っているんだろうかと、初めて考えた。
そして、それを問うことは、もうできないんだとやっとわかった。
俺は流されるままに就職を決めた。
師匠の心残りを、少しでも軽くできるならって。』
将棋の勉強第一の奨励会員は、アルバイトに精を出すこともできない。
そんな世界から、いきなり“会社”というまったく別の世界に放り出されて、きっと湊くんなりに必死だった。
私に何を言われても黙っていたけど、本当はたくさん傷ついていたのかもしれない。
奨励会という特殊な世界にずっといて、まともな社会生活もしてきていない、学歴もない、そんな二十六歳ってどう思う?
きっと誰だって引くと思う。
だけど奨励会を退会した俺は、世間の目さえ考える余裕はなく、ずっと実家の部屋に引きこもっていた。
最初の頃は髪も切らず、髭も剃らず、風呂にもほとんど入らず、ひたすら後悔ばかりしていた。
もっと勉強していれば。
もっと時間があったら。
もっと早く将棋と出会っていたら。
もっともっともっと才能があったら。
こんなことになるなら、早めに奨励会なんて辞めていればよかった。
そもそも奨励会になんて、入らなければよかった。
将棋なんてやらなければよかった。
生まれてこなければよかった。
もう二度と、駒には触らない。
しばらくすると考えることもしたくなくなって、とにかく部屋でゲームをしたり、漫画を読んだり、時間をつぶすことばかり考えていた。
死ぬまでの間、早く時間が過ぎてくれればいいと思ってた。』
『俺の人生は余生だから』
いつだったか湊くんはそう言っていた。
単にやる気がない発言だと思っていたけど、紛れもない真実だったのだ。
湊くんの人生の中心は“将棋”で、それ以外はどうでもよかったのだろう。
長い長い余生を、湊くんはどう思って生きていたのだろう。
『その頃、師匠が亡くなった。
奨励会に入る時には、必ず誰かプロの棋士に師匠になってもらわなければならない。
将棋を教えてもらうというより、身元引受人みたいな存在なんだ。
実際、師匠から将棋を教えてもらったことは、ほとんどなかった。
ご自宅にお邪魔しても、ご飯をごちそうになるだけ。
それでもいつも気にかけて見守ってくれて、時には厳しい言葉もくれる、とてもありがたい存在だった。
奨励会を辞めた時に挨拶はしたけど、その時にはもうだいぶ具合が悪そうだった。
それなのに、一度も見舞いに行かなかった。
久しぶりの外の世界で、俺はどこにも身の置き場がなかった。
ちょうど梅雨の晴れ間の穏やかな、暖かくも強い風の吹く日で、切ったばかりの髪の毛を風が抜けていく。
本来なら、とても気持ちのいい日だったに違いないのに、季節も時間もよくわからなくなっていた。
師匠の遺影を前にしても、全然実感なんて湧かない。
だけど当然たくさんの棋士が弔問に訪れるから、そんな状態でも話しかけられる。
それがいやで、焼香だけ済ませて逃げるように元の道を引き返す俺に、たまに師匠の家や道場で見かけたことのあるおじさんが声を掛けてきた。
「湊純史朗くんだよね。越前先生から話は聞いてたよ。今何もしてないなら、うちにおいでよ」
って、のんびりした声とは違って、かなり強引に連絡先を交換させられた。
それが社長。
師匠と親しかった社長は、師匠の心残りを引き受けようとしてくれたんだ。
何も言わなかった師匠は、今の俺をどう思っているんだろうかと、初めて考えた。
そして、それを問うことは、もうできないんだとやっとわかった。
俺は流されるままに就職を決めた。
師匠の心残りを、少しでも軽くできるならって。』
将棋の勉強第一の奨励会員は、アルバイトに精を出すこともできない。
そんな世界から、いきなり“会社”というまったく別の世界に放り出されて、きっと湊くんなりに必死だった。
私に何を言われても黙っていたけど、本当はたくさん傷ついていたのかもしれない。