gift
『俺は、あと一勝すれば資格が得られるところまで来られた。
一日が二十四時間しかない以上、将棋の研究をするにも練習を積むにも、どうしても時間が足りない。
だけどこのチャンスは絶対に逃したくない。
だから俺は会社を辞めた。
社長と君が与えてくれた場所だけど、とても居心地のいい場所だったけど、ごめん。
それでも俺はもう一度、将棋を選びます。

書ききれないほどたくさんのことを、どうもありがとう。

湊』

「あの反応の悪い湊くんが?」というほどに、饒舌な手紙だった。
でも、うまく行の中におさまらず、文字が小さくなってしまったり、間違えた文字が黒く塗りつぶされて、矢印で「まちがえた」とわざわざ書いてあったり、手紙そのものは実に湊くんらしい。
何よりところどころインクがかすれていて、この手紙が左手で書かれたものだとわかる。

湊くんに感じる謎のすべては“将棋”だった。

おかしなところをつなぎ合わせると、きれいに駒の形になるくらい、すべての辻褄が合ったから、驚くよりも納得した。

気持ちのこもった長い長い手紙。
これを書くのには、かなりの時間がかかっただろう。
けれど、こんなに言葉が尽くしてあっても、私が知りたいことだけは書かれていなかった。
私に対する湊くんの気持ちが、私の告白に対する本当の答えが、きれいに避けてあるように思える。

『将棋を選びます』

それはつまり

『君を選ばない』

そう言っている。

明らかな拒絶は、だけど将棋と私を同じくらい大事なものとして、天秤にかけたゆえではないかと思う。

「将棋くらい何だっていうのよ」

鬱屈した気持ちからうっかり口にしたのは、きらいなはずの夕張メロン豆乳ラッテ。
だけど今日は何口飲んでも味がしなくて、とうとう最後まで飲み切れた。

将棋のプロっていうのが、どのくらいすごいのかわからない。
アマチュア棋戦で勝つことが、どのくらい大変なのかもわからない。
それでもたった一言「好きだ」って言ってくれたら、将棋だろうが暗黒舞踏だろうが、何だって受け入れるのに。
こんなに中途半端な告白は、居酒屋の安いサイコロステーキよりも胃にもたれる。

「さようなら」も「好きだ」も書かれていない湊くんの手紙は、それを送ってきたという事実こそが、私へのラブレターだから。


< 58 / 105 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop