gift
そう、湊くんは記憶力がいい。
湊くんが入社して数ヶ月経った頃、ISO14001の更新審査があった。
ISO14001っていうのは環境マネジメントシステムのことで、会社として環境に配慮した活動やシステムを構築している、と国際基準で認められることらしい(多分)。
更新審査なんて担当者がするものだと思っていたら、なんだかギリギリになって「何を聞かれても対応できるようにしておけ!」と、急な部長命令が下った。
どうも部署ごとのヒアリングや、現場視察もあるらしいのだ。
更新審査までの数日、事務課の人間はみんな半泣きで、ぶ厚いファイルと向き合った。
書類に齧りついたところで、何しろ担当ではないから、読んでも理解できない。
理解できていないのだから、何か聞かれたとしても答えようがない。
東南アジアの入国審査みたいに、何を聞かれても「サイトシーング!」って言っていればいいっていう裏技(嘘)でもないか、と脳が現実逃避を始める。
「大丈夫、大丈夫。課長が対応するし、何も聞かれないって」
と、岩本さんがファイルを閉じたので、私も無駄な抵抗はやめた。
真面目な人でも、軽く目を通しただけだと思う。
その中で、湊くんは淡々とページをめくっていた。
ペラリ、ペラリ、と速いペースでめくる姿は、ただの作業のように見える。
「そんな読み方してわかるの?」
話しかけると、眼鏡をはずして、目元をマッサージする。
「なんとなく」
「え……あのペースで読める? 見てるだけじゃない?」
「うーん……文字を追うっていうより、ページごと頭に入れる感じ。だからぼんやりだよ」
「ぼんやりでもわかるんだ!」
「まあ、一応」
そういう速読術があると聞いたことはある。
だけど、実際目の前で見せられても、にわかには信じられない。
「なんでもいいや。がんばりたまえ。私の分も!」
湊くんはふたたびページをめくっていて、返事もしなかった。
当日の現場視察は、もちろんISO取得の担当者が対応していて、私たちは平然と通常業務に邁進しているフリをしていた。
その実、いつ何を言われるのか、内心ではみんなビクビクして過ごしていた。
岩本さんなんて体調不良でトイレを往復していたけど、あれはきっと仮病だ。
私たちの不安をよそに、現場視察は何事もなく終わるかに思えた。
ところが、タイミング悪くプリンターに書類を取りに行った湊くんが、審査員に捕まったのだ。
自分じゃなくてよかったと思う反面、どう切り抜けるのか一同が固唾を飲んで見守る中、湊くんは聞かれたことにあっさりと答え、ナポレオンもかくやという堂々とした無表情で自分の席へ帰還したのだ。
みんな視線で彼に拍手喝采を送る。
湊くんの犠牲のおかげで他に累が及ぶことはなく、現場視察は終わった。
審査員が帰った後、私は打ち上げ花火の代わりに湊くんの背中をバンバン叩いて賞賛した。
「ちょっと湊くん、おかげで助かった! ありがとう!」
「別に、仕事だし」
背中の痛みに顔をしかめつつ、本当になんでもないことのように湊くんは言う。
「仕事だってできることとできないことがあるじゃない。私だったら答えられなかった。よくわかったね」
「かんたんな質問だったし、事前に渡されたファイル見ればわかることだから」
「そうだけど、それが覚えられないんじゃない。多すぎて」
「そうかな?」
「そうだよ」
「ふーん」
興味ない、とはっきり顔に浮かべて、また黙々と仕事に戻ってしまう。
湊くんが入社して数ヶ月経った頃、ISO14001の更新審査があった。
ISO14001っていうのは環境マネジメントシステムのことで、会社として環境に配慮した活動やシステムを構築している、と国際基準で認められることらしい(多分)。
更新審査なんて担当者がするものだと思っていたら、なんだかギリギリになって「何を聞かれても対応できるようにしておけ!」と、急な部長命令が下った。
どうも部署ごとのヒアリングや、現場視察もあるらしいのだ。
更新審査までの数日、事務課の人間はみんな半泣きで、ぶ厚いファイルと向き合った。
書類に齧りついたところで、何しろ担当ではないから、読んでも理解できない。
理解できていないのだから、何か聞かれたとしても答えようがない。
東南アジアの入国審査みたいに、何を聞かれても「サイトシーング!」って言っていればいいっていう裏技(嘘)でもないか、と脳が現実逃避を始める。
「大丈夫、大丈夫。課長が対応するし、何も聞かれないって」
と、岩本さんがファイルを閉じたので、私も無駄な抵抗はやめた。
真面目な人でも、軽く目を通しただけだと思う。
その中で、湊くんは淡々とページをめくっていた。
ペラリ、ペラリ、と速いペースでめくる姿は、ただの作業のように見える。
「そんな読み方してわかるの?」
話しかけると、眼鏡をはずして、目元をマッサージする。
「なんとなく」
「え……あのペースで読める? 見てるだけじゃない?」
「うーん……文字を追うっていうより、ページごと頭に入れる感じ。だからぼんやりだよ」
「ぼんやりでもわかるんだ!」
「まあ、一応」
そういう速読術があると聞いたことはある。
だけど、実際目の前で見せられても、にわかには信じられない。
「なんでもいいや。がんばりたまえ。私の分も!」
湊くんはふたたびページをめくっていて、返事もしなかった。
当日の現場視察は、もちろんISO取得の担当者が対応していて、私たちは平然と通常業務に邁進しているフリをしていた。
その実、いつ何を言われるのか、内心ではみんなビクビクして過ごしていた。
岩本さんなんて体調不良でトイレを往復していたけど、あれはきっと仮病だ。
私たちの不安をよそに、現場視察は何事もなく終わるかに思えた。
ところが、タイミング悪くプリンターに書類を取りに行った湊くんが、審査員に捕まったのだ。
自分じゃなくてよかったと思う反面、どう切り抜けるのか一同が固唾を飲んで見守る中、湊くんは聞かれたことにあっさりと答え、ナポレオンもかくやという堂々とした無表情で自分の席へ帰還したのだ。
みんな視線で彼に拍手喝采を送る。
湊くんの犠牲のおかげで他に累が及ぶことはなく、現場視察は終わった。
審査員が帰った後、私は打ち上げ花火の代わりに湊くんの背中をバンバン叩いて賞賛した。
「ちょっと湊くん、おかげで助かった! ありがとう!」
「別に、仕事だし」
背中の痛みに顔をしかめつつ、本当になんでもないことのように湊くんは言う。
「仕事だってできることとできないことがあるじゃない。私だったら答えられなかった。よくわかったね」
「かんたんな質問だったし、事前に渡されたファイル見ればわかることだから」
「そうだけど、それが覚えられないんじゃない。多すぎて」
「そうかな?」
「そうだよ」
「ふーん」
興味ない、とはっきり顔に浮かべて、また黙々と仕事に戻ってしまう。