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盛夏の太陽の下にある将棋会館は、無知な私を跳ね返すがごとくそびえ立っていた。
ネットの写真で見たときは、とても目立つ建物だと思ったのに、奥まった閑静な住宅街の細い通り沿いにあって、立地は存外控え目だ。
千駄ヶ谷駅から大きな通りを歩いてきた私は、何度も近くをぐるぐる回って、携帯で地図を確認しても迷って、ようやくたどり着いた。
暑さに加えた疲労によって、気分はすでに熱中症。
けれど、いざ目の前にすると、独特の赤レンガは威圧的に迫って見える。
奨励会の対局もここで行われる。
アマチュアの大会はホテルの会場で行われることが多いみたいだけど、プロとの対局のほとんどはここでするらしい。
ここは湊くんが何度も何度も足を運んだはずの場所。
そして、今なお目指している聖地。
湊くんが退職してから、私は湊くんを探した。
でも、携帯の番号は変更され、会社でどうにか聞き出した住所もすでに引っ越したあとだった。
新しい住所は誰も知らなかった。
手がかりなんて何もなくて、湊くんと繋がる唯一の場所が、この将棋会館だったのだ。
そんな湊くんが、今日ここに偶然現れるはずもないのに、熱中症の危険に背中を押される形で、とりあえず一階にある売店に入ってみた。
プロ棋士が書いた扇子やら、書籍やらを見るともなく見ながら、三周グルグル無意味に回っていると、
「ちょっとすみません」
と、男の人が大量の雑誌を抱えてきた。
発売されたばかりの将棋のテキストだった。
ドサッとひと山置いて、置き切れなかった分をバックヤードに持ち帰る。
その背中から雑誌に視線を戻して、表紙に釘付けになった。
『講座 折笠則人の中盤で粘る!』
メガネをかけた生真面目そうな男の人が、笑顔で大きな駒を持っていた。
その人に見覚えがある。
デフォルメされているけれど、それでもよく特徴を捉えている。
理知的なメガネの若い男性。
戻ってきて「よいしょ」と別の雑誌を置いた男の人に、つい声を掛ける。
「あの!」
「はい、なんでしょうか?」
「この人!」
表紙の男の人は、昔湊くんとふたりで蕎麦を食べたとき、湊くんに声を掛けてきた男性だった。
あの人は棋士だったのだ。
『昔の知り合い』
湊くんの経歴を知った今なら納得できる。
「はい?」
「この人に会えませんか?」
店員さんは絶句して、それから申し訳なさそうに、また困った子どもをたしなめるような雰囲気で、曖昧な笑顔を見せた。
「棋士とのお取り次ぎはしていないんですよ。ここにもよく出入りはしているので、偶然会える可能性はありますが」
「あ、そうですよね……」
自分が全然興味ないから実感ないけれど、雑誌の表紙になるくらいだから、この世界では有名人のはずなのだ。
そんな人に軽々しく「会わせてください」なんて言ってはいけない。