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「あれ? 折笠さん、こんなところでデートですか?」
将棋会館に入ってすぐ、くたっとしたシャツにパンツというカジュアルなスタイルで現れた男性は、からかうような笑顔で近づいてきた。
大学生にも見えるから、奨励会員なのかもしれない。
「俺の相手じゃない。湊の彼女」
「湊さんの? ……ああ、はいはい。あなたが」
男性は何かを納得したように深くうなずいて、興味深そうに私を見る。
居心地の悪さにとりあえず会釈したら、「あ、どうも」と軽く会釈を返された。
「だったら大盤解説会場ですよね。面白そうだから俺も行きます」
「なんで?」
「いいじゃないですか。『折笠六段が彼女連れで来た!』ってSNSに書かれても面倒でしょ?」
会場は今日もたくさんの人が詰めかけていて、私たちが入った途端に視線が集まった。
私はビックリして立ち止まってしまったけれど、男性二人は気にした様子もなく部屋の隅を目指して進んでいく。
その姿をほとんどの人が目で追っていた。
やはり、将棋の世界では有名な人らしい。
「どう思う?」
折笠さんが大盤を見ながら唐突に話を振った。
私はポカンとしてしまったのに、男性は腕組みをして当然のように返した。
「後手(湊)を持ちたいです」
「だよな」
それぞれ別のところを見ながら(いや、二人ともどこも見ていないのかもしれない)、頭の中にある駒を動かしているのだろう。
手をフラフラと空中で動かす。
知らなければ、魔法でもかけているのかと思うような仕草だ。
「あの歩は」
「研究手だと思います」
「寄って、取って、取って、ばらして……」
「打って、で桂合かな」
「ふーん」
交わされる会話は、老夫婦のやり取りのように主要な単語さえ省略されて、ほとんど以心伝心の域だった。
「湊が読んでる筋だと思うか?」
「さあ、どうでしょう」
湊くんの人生がかかっているというのに、どこまでも楽しそうだ。
モニター画面はずっと盤を映しているから、湊くんの様子はわからない。
じっと見ていると、西牟田四段が手首のスナップを利かせて、バシッと少し乱暴に角を打つ。
「飛車取りか。引いて守るか、寄って逃げるか」
折笠さんがつぶやいた時、解説の男性棋士からマイクを通して声がかかった。
「ここで次の一手を出題したいと思います。みなさんお気づきのように、後ろに折笠六段と有坂七段が来ていますので、せっかくだから候補手を聞いてみましょうか」
隣の男性も奨励会員ではなくプロだったらしい。
一斉に注目が集まる中、折笠さんが大きな声で言った。
「△7二飛車」
そして、有坂さんが続ける。
「俺は飛車取りを手抜いて(放置して)、△7七桂成にしまーす」
二人の予想に、解説者の予想と「④その他」も加えて四択で問題が出題された。
会場で時折出されるこの問題にすべて正解すると、記念品がもらえるらしい。
会場全体がじっとモニターを見つめる中、湊くんの左手が桂馬を掴んでクルリとひっくり返した。
△ 7七桂成
「お、当たった」
無邪気に喜ぶ有坂さんに、会場から拍手が送られる。
しかし本人は、すでに違うことに意識を向けているようだった。