お茶にしましょうか

「何か、俺に手伝えることは、ありますか?」



とうとう声をかけられ、やはり私の体は一度、強張ります。



「いいえ。ありがとうございます」



私はそれだけを、落ち着いて答えました。

私の手は、微かに震えています。

やはり緊張しているのでしょう。

今まで、この方に練習風景や演奏を見ていただいたのは、合わせて1、2回ほどだと思います。

たった二人きりでご覧にいただくのは、今回が初めてとなるのです。

私は自身の緊張を、江波くんに覚られないよう、何かを誤魔化すかの様な口ぶりで言いました。



「はじめの30分から1時間は、基礎練習ばかりですから、退屈されるかもしれませんよ?」



そのようなくだらない前置きを入れれば、流石の江波くんも急かされるのではないか、と私は思っておりました。

「そのようなことは、どうだって良いから、はやくしろ」と。

しかし、私の思いとは裏腹に、最も江波くんらしいと思えてしまうことを、おっしゃったのです。



「萩原さんの音は綺麗なので、きっと、平気だと思います」



私は今に限って、彼のことを信じることが出来ていませんでした。

そうです、江波くんとは、こういったお方です。

忘れておりました。

これで心おきなく、練習に打ち込むことが出来ます。

この時、アンサンブルコンテストは、既に5日後に迫っていたのです。
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