お茶にしましょうか
その時、私の足下に野球のボールが、転がってきたのです。
このボールもここまで遠くへ飛ばされ、淋しそうでした。
隣に居た江波くんは、不意に立ち上がり、そのボールを拾い上げました。
そのまま動こうとしないため、どうしたのだろう、と私は彼の表情を見上げました。
今年、最後だった夏を思い出しているのでしょうか。
いいえ、私の考えは、とても大きく的を外していたようです。
彼の表情は、僅かにですが、生き生きしている様に見えました。
他の方にどう映るかはわかりませんが、私には野球のボールを握った江波くんは、少し嬉しそうに見えたのです。
すると、遠くの方から子どもの声が聞こえてきました。
「すみませーん!ボール、投げてくださぁい!!」
江波くんは、その一生懸命に叫ぶ少年の声の方を向くと、優しく微笑んだのです。
いつもお顔を紅く染め、おどついた江波くんしか見たことがありませんでしたから、とても驚いてしまいました。
大層、野球に夢中なのだろう、そう感じました。
「いくぞ!」
江波くんはそう叫んだ次の瞬間、江波くんは控え目に振りかぶって、野球のボールを投げたのです。
一度、地面にて跳ねたボールは、子どもの前方で落ち、綺麗に転がっていきました。
まるで、そこへ行くことが決まっていたかの様でした。
そして、転がったボールは、子どもの手にはめられていたグローブの中に、静かに収まりました。
「ありがとうございまーす!」
子どもが叫ぶと、江波くんは右手をひらひらとさせて、再びベンチへ腰掛けたのです。
どの動作もあまりにも素敵に見えてしまい、仕様がありません。
子どもに向けた笑顔に妬いてしまう程にです。