ハッピーエンドはお呼びじゃない
世間様ではクリスマス・イヴなものだから、本家のある街も賑やかである。
現在の時刻は6時半。
皆々様、これからフライドチキンや、ケーキを頬張るのでしょうね。
私がこれから数日間口に出来るのは残り物で、噛み締めるのは苦渋ですけどね。
私は電飾に彩られた景色を屈折した心持ちで車窓から見ていた。
しかし、その景色も暫くすると、大きな塀に遮られてしまう。本家の塀だ。
「あ、ここでいいです。下ろしてください」
「はい、お気をつけて」
タクシーの運転手に金を払い、塀に沿って歩き始める。
大した家系じゃないくせに無駄に大きい塀。
正面の門に着くのに20分ほどかかってしまった。
インターホンを鳴らす。
ピンポーンとよく聞く音がして、それから、ガチャと受話器をとる音が聞こえた。
『はい、どちらさまですか?』
クリスマス・イヴだと言うのに、私は全くツイてない。本家に来て一番最初に聞く声が大っ嫌いな叔母の声なのだから。
舌打ちをしそうになるのを堪えて、明るい声を絞り出す。
「ご招待いただいた、清水月子です。お久しぶりです、浮子叔母様」
『ああ、月子ね。裏口にまわってちょうだい』
「はい、わかりました」
ガチャッとまた音がして通話が切れる。
何が【浮子叔母様】だ。
あの女相手に敬称を付ける必要などない。
しかし、私はそんなことは言えない小心者である。
叔母の言葉に従い、裏口にまわる。
裏口は正門の反対方向だ。つまり、また20分ほどかかるわけだ。
私は舌打ちした。腹の底に黒くてどろっとしたものが溜っていくような気がする。
裏口は小さく可愛らしい戸だ。これだけ言えば普通だが、私はこれからこの戸を潜るのだ。身長160センチが60センチセンチあろうかという戸を潜るのだ。
正直言って、キツい。
「っと、いけるかな?」
周りに誰もいないことを確認してから、四つん這いになって戸を潜る。
膝と手が汚れるが、そんなことを気にしてる場合じゃない。もし入れなかったら、凍死する。
真冬の外に碌な装備もなしでいたら、死ぬ。
こういう時だけは自分の肉付きが、悪くて良かったと思う。クラスの女子みたいに体の凹凸がハッキリした体に憧れない訳では無いけど、この戸はあの体じゃ潜りにくい。
裏口を潜った私は勝手口に向かう。勝手口からは今宵の宴会で出されるであろう、料理の美味しそうな匂いがする。まあ、私は食べられないわけだが。残り物も充分美味しいので耐えているが、本当は誰も手をつけてないご飯を食べたい。
誰にも言わないけれど。我慢するけれど。それでも、豪華な料理を食べてみたい。
無理だけどね!
「失礼します。清水月子、ただいま参りました」
そう言いながら勝手口の向こう側、つまりは台所に入る。
「月子ちゃん、ちょっと手伝ってちょうだい」
「あら、それよりもおばあちゃんへの挨拶が先よぅ」
「大丈夫よお。こんな子なんておばあ様は気になさならいわ」
「それもそうね。さ、月子ちゃん、これ盛り付けて」
「はい」
浮子は私にボウルに入ったハムサラダを渡した。これをテーブルの上にある皿に盛り付けろ、ということだろう。
私は鍋の方から漂う、美味しそうな味噌汁の匂いを気にしないふりをして、テーブルの前に立った。
菜箸を使って少しずつ盛っていく。
「──でねぇ、花宮さんったら、素っ気ないんだから」
「そうなの? あの人も無愛想よねえ。もっと愛想良くできないかしら」
「でも、神代さんは笑いすぎよね」
「そうそう。何時でもへらへら笑ってて品がないわ」
つまらない話に花を咲かせることが出来るのはもはや才能だろう。
そんなことより、味噌汁の出来具合を見てほしい。これ以上煮込んだら水分飛ぶし、具材が焦げる。
私がハラハラしながら味噌汁の行く末を横目で見守っていると、案の定、味噌汁の鍋から黒い煙が立ち始めた。
あーあ。これも私のせいになるんだろうな。やだなあ。ま、注意しなかった私が悪いんだろうけどね。
「叔母様、味噌汁が焦げています。早急に対処なされるのがよろしいかと」
「あらやだ、ほんと。月子ちゃん、気づいてたなら教えてくれれば良かったのに」
「……申し訳ありません。折角のお話に水を差すのは気が引けまして」
──焦がしたくなかったら、最初から見てれば良かったのに。
タイマーか何か設定しておけば良かったのに。
もしくは最初から味噌汁なんて作らなければ良かったのに。
「次から気をつけてね」
「はい、気をつけます」
次、と言うことはこんな低俗な嫌がらせ未満の嫌がらせをまたやるということだろうか。勘弁願いたい。
「何? 騒がしいんやけど」
私が人知れず心の中でため息をついていると、不意に背後から声がした。
私の背後は廊下だから、通りかかった者が声をかけるなど普通なのだけれど、余りにもとつぜんだったものだから、ビクっとする。
声が出なくて良かった。此処で「ひゃっ!」とか言ってみろ、末代まで弄られる。
「朔様! いえ、何でもありませんの。ただ月子ちゃんが、お味噌汁を焦がしただけです」
「そうそう。何でもないですわ」
いやいやいや、何さらっと罪を擦り付けてるの? やめて。
「そうやの?」
「……はい、そうです。作り直しますのでお時間を頂けないでしょうか」
言わないけど。言えないけど。
歯向かったら最後、何されるかわからないからね。
現在の時刻は6時半。
皆々様、これからフライドチキンや、ケーキを頬張るのでしょうね。
私がこれから数日間口に出来るのは残り物で、噛み締めるのは苦渋ですけどね。
私は電飾に彩られた景色を屈折した心持ちで車窓から見ていた。
しかし、その景色も暫くすると、大きな塀に遮られてしまう。本家の塀だ。
「あ、ここでいいです。下ろしてください」
「はい、お気をつけて」
タクシーの運転手に金を払い、塀に沿って歩き始める。
大した家系じゃないくせに無駄に大きい塀。
正面の門に着くのに20分ほどかかってしまった。
インターホンを鳴らす。
ピンポーンとよく聞く音がして、それから、ガチャと受話器をとる音が聞こえた。
『はい、どちらさまですか?』
クリスマス・イヴだと言うのに、私は全くツイてない。本家に来て一番最初に聞く声が大っ嫌いな叔母の声なのだから。
舌打ちをしそうになるのを堪えて、明るい声を絞り出す。
「ご招待いただいた、清水月子です。お久しぶりです、浮子叔母様」
『ああ、月子ね。裏口にまわってちょうだい』
「はい、わかりました」
ガチャッとまた音がして通話が切れる。
何が【浮子叔母様】だ。
あの女相手に敬称を付ける必要などない。
しかし、私はそんなことは言えない小心者である。
叔母の言葉に従い、裏口にまわる。
裏口は正門の反対方向だ。つまり、また20分ほどかかるわけだ。
私は舌打ちした。腹の底に黒くてどろっとしたものが溜っていくような気がする。
裏口は小さく可愛らしい戸だ。これだけ言えば普通だが、私はこれからこの戸を潜るのだ。身長160センチが60センチセンチあろうかという戸を潜るのだ。
正直言って、キツい。
「っと、いけるかな?」
周りに誰もいないことを確認してから、四つん這いになって戸を潜る。
膝と手が汚れるが、そんなことを気にしてる場合じゃない。もし入れなかったら、凍死する。
真冬の外に碌な装備もなしでいたら、死ぬ。
こういう時だけは自分の肉付きが、悪くて良かったと思う。クラスの女子みたいに体の凹凸がハッキリした体に憧れない訳では無いけど、この戸はあの体じゃ潜りにくい。
裏口を潜った私は勝手口に向かう。勝手口からは今宵の宴会で出されるであろう、料理の美味しそうな匂いがする。まあ、私は食べられないわけだが。残り物も充分美味しいので耐えているが、本当は誰も手をつけてないご飯を食べたい。
誰にも言わないけれど。我慢するけれど。それでも、豪華な料理を食べてみたい。
無理だけどね!
「失礼します。清水月子、ただいま参りました」
そう言いながら勝手口の向こう側、つまりは台所に入る。
「月子ちゃん、ちょっと手伝ってちょうだい」
「あら、それよりもおばあちゃんへの挨拶が先よぅ」
「大丈夫よお。こんな子なんておばあ様は気になさならいわ」
「それもそうね。さ、月子ちゃん、これ盛り付けて」
「はい」
浮子は私にボウルに入ったハムサラダを渡した。これをテーブルの上にある皿に盛り付けろ、ということだろう。
私は鍋の方から漂う、美味しそうな味噌汁の匂いを気にしないふりをして、テーブルの前に立った。
菜箸を使って少しずつ盛っていく。
「──でねぇ、花宮さんったら、素っ気ないんだから」
「そうなの? あの人も無愛想よねえ。もっと愛想良くできないかしら」
「でも、神代さんは笑いすぎよね」
「そうそう。何時でもへらへら笑ってて品がないわ」
つまらない話に花を咲かせることが出来るのはもはや才能だろう。
そんなことより、味噌汁の出来具合を見てほしい。これ以上煮込んだら水分飛ぶし、具材が焦げる。
私がハラハラしながら味噌汁の行く末を横目で見守っていると、案の定、味噌汁の鍋から黒い煙が立ち始めた。
あーあ。これも私のせいになるんだろうな。やだなあ。ま、注意しなかった私が悪いんだろうけどね。
「叔母様、味噌汁が焦げています。早急に対処なされるのがよろしいかと」
「あらやだ、ほんと。月子ちゃん、気づいてたなら教えてくれれば良かったのに」
「……申し訳ありません。折角のお話に水を差すのは気が引けまして」
──焦がしたくなかったら、最初から見てれば良かったのに。
タイマーか何か設定しておけば良かったのに。
もしくは最初から味噌汁なんて作らなければ良かったのに。
「次から気をつけてね」
「はい、気をつけます」
次、と言うことはこんな低俗な嫌がらせ未満の嫌がらせをまたやるということだろうか。勘弁願いたい。
「何? 騒がしいんやけど」
私が人知れず心の中でため息をついていると、不意に背後から声がした。
私の背後は廊下だから、通りかかった者が声をかけるなど普通なのだけれど、余りにもとつぜんだったものだから、ビクっとする。
声が出なくて良かった。此処で「ひゃっ!」とか言ってみろ、末代まで弄られる。
「朔様! いえ、何でもありませんの。ただ月子ちゃんが、お味噌汁を焦がしただけです」
「そうそう。何でもないですわ」
いやいやいや、何さらっと罪を擦り付けてるの? やめて。
「そうやの?」
「……はい、そうです。作り直しますのでお時間を頂けないでしょうか」
言わないけど。言えないけど。
歯向かったら最後、何されるかわからないからね。