スノーフレークス
 彼は数十秒間呪文を唱えたけど雪女たちが術の影響を受けた様子は見られなかった。
「残念だけどあなた程度の術師の技は私たちには効かないの。あなたのお父さんの術だったら効果があると思うけど」
 晶子さんが澁澤君に話しかける。
「おやおや、そんな怖い目をして私を見ないでちょうだい。私は翠璃の母親よ。あなたと会うのは二度目だわね。あなたのお兄さんをお迎えにいった時に会ったことがあるわ。今では娘も私の仕事を手伝ってくれるようになったのよ」
 澁澤君は何も言わずに晶子さんを見ている。
「あなたもお寺の息子さんならわかるでしょう? 人間には天命というものがあるのよ。どうか日向さんのお母さんを安らかに逝かせてちょうだい」
「あんたたちは本当に病人の寿命を縮めているわけじゃないんだな?」
 澁澤君が渋い顔でたずねる。
「ええ。私たちは決してそんな恐ろしいことはしていないわ。観音菩薩様の名にかけて誓うわ」
 晶子さんが答える。
「わかった。あんたたちがそこまで言うなら僕は信じる。日向さんのお母さんのことはあんたたちに任せる」
 澁澤君は苦渋の選択をした。
「わかってくれてありがとう」
 晶子さんは息子のような年齢の少年に深々と頭を下げる。

 それから晶子さんは母さんの魂を手招いた。母さんが吸い寄せられるように二人の女に近づく。晶子さんが口元に手のひらを添え、すぼめた唇からダイヤモンドダストの風を母さんに吹きつける。母さんは体の力が抜けてその身を晶子さんの懐に委ねる。母さんはおとなしく雪舟に乗せられた。

「やめてーっ!」
 私は叫んだ。この橇に乗ったが最後、母さんの魂はあの世に連れていかれてしまう。それは母さんが二度と帰らぬ人になってしまうということだ。
 私は発作的に雪舟の中に飛び乗った。木製の橇の上で母さんの魂が目の前に透けて見える。母さんはしゃがんで眠っているように見える。
「葵ちゃん、何をするの!」
「晶子さん、私を冥界の入り口まで連れていってください!」
 私は晶子さんに頼んだ。
「何をバカなことを言うの! そんなことできるわけないでしょ! 私たちについてきたらあなたの命が危うくなるわよ!」
 晶子さんがこの世のものとは思えないほど恐ろしい形相で私を睨みつける。けれど、もはや私の中では異形の白い女たちに対する恐れは吹き飛んでいた。私は母さんを取り戻したい一心で頼んだ。
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