【琥珀色の伝言】 -堤 誠士郎 探偵日記-
フルスコア
・・・ 依頼品が放つ無言の言葉 それは琥珀色の伝言 ・・・
『当時、彼は作曲科の学生で私は画学生でした。
私たちは出会った瞬間、互いを必要な相手だと認め合い、別れは永遠にないものと信じていました。
けれど運命というのは残酷ですね。
一年ののち、彼は実家へと帰、 私たちは別れ別れになってしまったのですから。
これは彼から届いた楽譜です。
私のもとへ届けられてまもなくの事でした、自宅が火事にあいまして……
幸い焼け残った物の中に楽譜があったのですが このような状態になってしまいました。
彼から届いた楽譜に何が込められていたのか、手がかりがあればと、毬代さんを頼り堤先生をお尋ねいたしました。
この曲は、私への贈り物だから受け取って欲しいと、それだけは聞いていました。
いかがでしょう、無理は承知で持参いたしましたが……』
彼女が持参した楽譜は焼け焦げ、譜面の認識は困難な状態であった。
僕のもとへ持ち込まれる品のほとんどは時を重ねた年代物が多く、破損している物も少なくない。
けれど、これほど原形をとどめない依頼品は初めてで、請け負ったものの謎を解明できるのか。
今のところはなんとも言えないというのが本当のところだった。
とにかくお預かりいたしますと、依頼人から預かったのだが……
この場所に事務所をかまえて数年の月日がたつ。
探偵事務所と看板をあげているため、開設当初は犯罪捜査が主であったのに、いつのまにか、いわくのある品物が持ち込まれるようになっていた。
そこに犯罪の匂いはなく、けれど謎を秘めた依頼品の数々に、僕は強烈に惹かれていった。
思い出とともに隠された謎を解明するのが僕の仕事だ。
イギリスへ留学したおり学んだ学問、経験した数多くの事柄 出会った人々、それらが今の僕の糧となっている。
事務所には二人の助手がいる。
帝大に入りながら、将来を見出せないのでやめてしまった変わり者です、と本人は言うが、彼の着目点は素晴らしく、発想の幅には目を見張るものがある。
松木君は、わが事務所にはなくてはならない人材である。
藤波さんは女性ながらに大学を目指し、お父上の反対を受け進学を断念したものの、学問をあきらめきれず、知人を介して僕のもとへとやってきた。
常に前を向き探究心を忘れないその姿勢は、彼女の最大の持ち味といっていいだろう。
二人のおかげで、僕の仕事はより充実したものとなっている。
微かに焦げた匂いを含んだ楽譜は、激しく燃え上がる炎の中から取り出されたのか、消失した部分が6割、いや 7割近くに達していた。
ところによっては旋律を再現するには厳しいほど、音符のつながりが途絶えている。
それでも、少ない手がかりから依頼品が持つ伝言を拾い出さなくてはならない。
比較的燃えた箇所の少ない部分に Flute とあり、さっそく音の再現を試みた。
「松木君、僕のフルートを」
「はい 何かわかりそうですか」
「とにかく曲に手がかりを求めてみよう」
フルートをかまえ、マウスピースへ息をのせた。
軽快な旋律によって始まる曲は、展開部に入ると転調し物悲しさを奏でていく。
また長調へと戻り元の旋律が繰り返される。
しかし演奏できるのはそこまで、あとの譜面は音符を拾える状態ではなかった。
「なんだか落ち着かない曲ね。ときめいて、落ち込んで、また気持ちが華やいで……なんて忙しいこと」
「面白いことをいうね。毬代には、この曲がそう聴こえるのかい」
「恋の始まりみたい。ねぇ、そう思わない?」
「なるほど、恋の始まりか……」
妻の毬代は、ときおりこうした鋭い感性を見せてくれる。
彼女ならではの物事の捉えかたは、型にはまらず、思いつきとも思われるものもあるが、僕にとっては刺激的な意見であることが多い。
今の発言で僕は大きな手がかりをつかんだ。
「松木君、依頼人の恋人が在籍した学校を調べて欲しい。フルート専攻に親しい友人がいるはずだ。
その人が、これと同じ楽譜を持っていれば間違いない。
藤波さんも松木君と一緒に行ってください。貴女には他の楽器の演奏者を探し出してもらいたい。
この楽譜の所持があるかの確認も忘れずに。
すべてを写さなくてもいい、担当楽器の写しがあれば充分だから」
「わかりました。すぐに調べてきます」
二人は楽譜を写し終えると勇んで事務所を飛び出していった。
見送る毬代は首をかしげていたが、あなたの頭の中では、もう答えが出ているのでしょうね、と嬉しいことを言ってくれる。
まぁ、そういうことだよ、と返事をすると、
「頼もしいわ。私の大事なお友達の依頼なの、お願いね」
僕の大好きな笑顔を見せて、頬へと接吻をおいてくれた。