ヒグラシ
誘引
・・・・・

結局、翌日の土曜日は樹に電話で言われた通り、おとなしく家にいた。重ね重ね、本当に来るかどうかも分からない口約束を信じてしまうあたり、私はもう末期かもしれない。


「はあ」


読みかけのマンガ本を閉じ、自分の部屋で体育座りをしたまま膝に顔を埋める。なんとなく視界に入った本棚で見つけたそれは、高校生の頃ハマっていたものだ。田舎から都会へ移り住み、恋に仕事に頑張る新米OLのサクセスストーリー。当時の自分は、こんなにキラキラしたーまるで夢物語のようなー少女マンガを好んでいたのか。今の私なら、思わず「恋よりまず仕事を頑張れよ」とツッコんでしまうところだと笑ってしまう。


ーー明日にはもう、今いる世界へ帰らなければならない。親も樹もいない、淡々とした日常生活に。


「あっという間だったなあ」


壁掛け時計を見ると、17時半を回ったところだった。私はマンガの続きを読む気になれず、窓の外に広がる薄暗くなってきた空を眺める。燃えるような赤い夕焼けの向こうからは、青とも紫とも取れるような青黒い闇が迫ってきていた。色を乗せてたなびく雲がまた、哀愁たっぷりだ。


ーーピーンポーン


自分だけの世界に突然異質な音が入ってきて、思わずビクリと体が跳ねた。ここは2階だし、別に誰に見られているわけでもないのに、つい息を潜めてしまう。

耳を澄ますと、階下からは母の甲高い笑い声と、カチャカチャと瓶の鳴る音が聞こえて。

ややあって、「佳奈あ」と私を呼ぶ声が聞こえた。ーーもちろん、余所行きの高めの声で。

< 32 / 53 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop