HARUKA~愛~
第8章 そして、さよなら
「ごめん、今まで。私、玄希くんのこと、何も思い出せなくて…。でも何で?何で、私に言わなかったの?自分はあの時の早乙女玄希だ、って」
玄希くんは痛々しい右腕をさすりながら私に言った。
「忘れられたなら、それだけの存在なのかなって思って。おれから過去のことを掘り返すのはやめようと思ったんだ。だから“晴香”って呼ばなかったし、迷惑がかからないように晴香とキョリを取ったし、しゃべり方も変えた」
私は何も言えなかった。
私に覚えていて欲しかっただろうし、私が思い出した今、本当は別に言いたいことがあるはずだ。
それなのに彼は顔色1つ変えず、淡々と話し続けた。
「クリスマスの日、おれ、手作りケーキ持っていったんだ、新妻さんのところに。
そしたら彼女から別れてほしいって言われて…。理由はおれが新妻さんを見てなかったから。私といても、いつも別の方向向いてるよねって言われた。ああ、やっぱり女の人って気づくんだなぁって思った。彼女と別れてあの夜景を目指したんだ。そしたら今までウソついてたバチが当たった。坂を降りてきたスポーツカーと正面衝突。かなりぶっ飛ばされて、ケーキは…どこ行ったんだろうね」
笑ってる。
玄希くんは笑ってる。
違う。
違う。
笑わなくて良い。
辛いなら泣いて良い。
何で…
どうして…
笑うの?
私はあの日してもらったようにぎゅうっと抱きしめた。
いや、あの日だけじゃない。
今まで何度も何度も、私はこうしてもらって来た。
玄希くんは、私が自分を見失わないように、ずっと私の心を温め続けてくれたんだ。
「泣いていいよ。辛いなら泣いて良い」
「う~ん、泣けないなぁ。おれ、泣きたくないんだ。強い男は泣かないってお父さん言ってたし」
「…バカ」
「何?何か言った?」
「バカ。大バカ!」
いつの間にか私も笑っていた。
玄希くんの笑顔が伝染したみたいだ。
久しぶりにお腹を抱えて笑った。
幼い頃2人で過ごした時間が蘇ったように感じた。
しばらくお互い笑いあい、静けさが帰って来た。
変わらない、薬品の臭い。
オシャレになったナース服。
塗り替えられた壁。
居なくなったベテラン看護師…。
あの時から確実に時間は過ぎていた。
時間は一定の速度で流れ、事物はその流れに従って変化している。
「晴香」
「何?」
長い沈黙を破ったのは彼の方だった。
「色々あったけど、見つけてくれてありがとう」
「いやいや、お礼を言うのは、私の方だよ。今までありがとう」
「うん、それで良し」
「…えっ?」
まん丸の美味しそうなほっぺにえくぼができた。
「これから晴香は晴香らしい自分の道を歩んで行く。だからおれの役目は今日でお終い」
「ちょっと待って!どういうこと?」
せっかく思い出せたのに、永遠のお別れみたいなことを言う彼に私は疑問を感じずにはいられなかった。
焦る私とは裏腹に玄希くんはやっぱり笑っていた。
「いつか晴香言ったよね。ずっとそばにいるって」
「うん、言った…」
「おれは…晴香にずっとそばに居てほしい。ずっとずっと隣で笑っていてほしい。ずっとずっとずーっと死ぬまで一緒にいたい。だって…」
私は息を飲んだ。
「I love you.だから」
毎年クリスマスの日に届いていた手紙。
その最後に必ず書いてあった、I love you.
私をずっと見守っていてくれたのは紛れもなく玄希くんだった。
1年生の時の数学の教科書も、
梅干しとおかかのおにぎりも、
ピンク色のブランケットも、
2年生の林間学校の時の違和感も、
昇降口の違和感も、
ハンドクリームとハンカチも、
修学旅行の後のプレゼントも、
全て玄希くんだった。
彼はずっと私だけを見ていた。
なのに私は…
「今、晴香のそばにいてくれるのは…遥奏くんだ。そして、晴香。晴香が1番そばにいてほしいのは…」
私は…
泣いていた。
胸が苦しかった。
玄希くんの顔を真っ直ぐ見られなかった。
こぼれ落ちる涙を玄希くんが親指ですくってくれた。
「私………遥奏のそばにいてあげたい」
「うん、分かった。ありがとう、言ってくれて。但し、おれだけじゃなくてお母さんにも報告するんだよ。…約束」
玄希くんの小指はあの日より何センチも長くて私の小指が随分小さく感じた。
「指切りげんまん、うそついたら針千本のーます、指切った!」
多分、玄希くんと交わす最後の約束だった。
私は涙を拭って立ち上がった。
会いたい人がいた。
まだ伝えてないから、直接言いたい。
私はもう、1人じゃない。
「晴香、最後に1つだけお願い聞いてもらっても良い?」
「良いけど…何?」
「ちょっとしゃがんで」
私は言われた通りにしゃがんだ。
視線と視線が交錯した。
「晴香の初めては、やっぱりおれにさせてね」
―――――…っ。
柔らかな感触が一瞬で唇を奪っていった。
「晴香…愛してる」
午後5時59分32秒。
そして、さよなら。
玄希くんは痛々しい右腕をさすりながら私に言った。
「忘れられたなら、それだけの存在なのかなって思って。おれから過去のことを掘り返すのはやめようと思ったんだ。だから“晴香”って呼ばなかったし、迷惑がかからないように晴香とキョリを取ったし、しゃべり方も変えた」
私は何も言えなかった。
私に覚えていて欲しかっただろうし、私が思い出した今、本当は別に言いたいことがあるはずだ。
それなのに彼は顔色1つ変えず、淡々と話し続けた。
「クリスマスの日、おれ、手作りケーキ持っていったんだ、新妻さんのところに。
そしたら彼女から別れてほしいって言われて…。理由はおれが新妻さんを見てなかったから。私といても、いつも別の方向向いてるよねって言われた。ああ、やっぱり女の人って気づくんだなぁって思った。彼女と別れてあの夜景を目指したんだ。そしたら今までウソついてたバチが当たった。坂を降りてきたスポーツカーと正面衝突。かなりぶっ飛ばされて、ケーキは…どこ行ったんだろうね」
笑ってる。
玄希くんは笑ってる。
違う。
違う。
笑わなくて良い。
辛いなら泣いて良い。
何で…
どうして…
笑うの?
私はあの日してもらったようにぎゅうっと抱きしめた。
いや、あの日だけじゃない。
今まで何度も何度も、私はこうしてもらって来た。
玄希くんは、私が自分を見失わないように、ずっと私の心を温め続けてくれたんだ。
「泣いていいよ。辛いなら泣いて良い」
「う~ん、泣けないなぁ。おれ、泣きたくないんだ。強い男は泣かないってお父さん言ってたし」
「…バカ」
「何?何か言った?」
「バカ。大バカ!」
いつの間にか私も笑っていた。
玄希くんの笑顔が伝染したみたいだ。
久しぶりにお腹を抱えて笑った。
幼い頃2人で過ごした時間が蘇ったように感じた。
しばらくお互い笑いあい、静けさが帰って来た。
変わらない、薬品の臭い。
オシャレになったナース服。
塗り替えられた壁。
居なくなったベテラン看護師…。
あの時から確実に時間は過ぎていた。
時間は一定の速度で流れ、事物はその流れに従って変化している。
「晴香」
「何?」
長い沈黙を破ったのは彼の方だった。
「色々あったけど、見つけてくれてありがとう」
「いやいや、お礼を言うのは、私の方だよ。今までありがとう」
「うん、それで良し」
「…えっ?」
まん丸の美味しそうなほっぺにえくぼができた。
「これから晴香は晴香らしい自分の道を歩んで行く。だからおれの役目は今日でお終い」
「ちょっと待って!どういうこと?」
せっかく思い出せたのに、永遠のお別れみたいなことを言う彼に私は疑問を感じずにはいられなかった。
焦る私とは裏腹に玄希くんはやっぱり笑っていた。
「いつか晴香言ったよね。ずっとそばにいるって」
「うん、言った…」
「おれは…晴香にずっとそばに居てほしい。ずっとずっと隣で笑っていてほしい。ずっとずっとずーっと死ぬまで一緒にいたい。だって…」
私は息を飲んだ。
「I love you.だから」
毎年クリスマスの日に届いていた手紙。
その最後に必ず書いてあった、I love you.
私をずっと見守っていてくれたのは紛れもなく玄希くんだった。
1年生の時の数学の教科書も、
梅干しとおかかのおにぎりも、
ピンク色のブランケットも、
2年生の林間学校の時の違和感も、
昇降口の違和感も、
ハンドクリームとハンカチも、
修学旅行の後のプレゼントも、
全て玄希くんだった。
彼はずっと私だけを見ていた。
なのに私は…
「今、晴香のそばにいてくれるのは…遥奏くんだ。そして、晴香。晴香が1番そばにいてほしいのは…」
私は…
泣いていた。
胸が苦しかった。
玄希くんの顔を真っ直ぐ見られなかった。
こぼれ落ちる涙を玄希くんが親指ですくってくれた。
「私………遥奏のそばにいてあげたい」
「うん、分かった。ありがとう、言ってくれて。但し、おれだけじゃなくてお母さんにも報告するんだよ。…約束」
玄希くんの小指はあの日より何センチも長くて私の小指が随分小さく感じた。
「指切りげんまん、うそついたら針千本のーます、指切った!」
多分、玄希くんと交わす最後の約束だった。
私は涙を拭って立ち上がった。
会いたい人がいた。
まだ伝えてないから、直接言いたい。
私はもう、1人じゃない。
「晴香、最後に1つだけお願い聞いてもらっても良い?」
「良いけど…何?」
「ちょっとしゃがんで」
私は言われた通りにしゃがんだ。
視線と視線が交錯した。
「晴香の初めては、やっぱりおれにさせてね」
―――――…っ。
柔らかな感触が一瞬で唇を奪っていった。
「晴香…愛してる」
午後5時59分32秒。
そして、さよなら。