HARUKA~愛~
下駄箱の前で私の足はピタリと止まった。

いや、実際には止まったんじゃなくて一歩後ずさっていた。



静寂に包まれた蒸し暑い昇降口で、その子の姿は鮮明だった。

時折吹いてくる穏やかな夏の風にふわふわの髪が靡いて、私の目にはより一層可愛らしく映った。


彼女に気づかれまいと必死に息を殺していたけれど、夏風邪気味の私の鼻は敏感で、彼女のつけている甘い香水の粒子に反応してしまった。


彼女が驚いた目でこちらを見る。

こんなに彼女に見つめられたのは、思い出したくもないあの日以来のことだった。


「晴香ちゃん…」


彼女の手は、本来の位置になかった。

私の背中に冷や汗が一筋流れた。


「あの…私に何か…?」


彼女は左上の下駄箱の蓋を開けて、ピカピカに磨かれた茶色のローファーを取り出した。

そしてそのまま立ち去ろうとする。








私は…









彼女の右腕を強引に掴んで、自分の方に顔を向かせた。

見開かれた大きな目に吸い込まれそうになったが、怯まずに言葉を続ける。


「私にまた何かしようとしましたか?」

「してない」

「じゃあ、なんでさっき…」

「晴香ちゃんには適わないな~」


ふわふわの髪が左右に揺れた。

微笑みは前見た時より自然で、いかにも作られた笑顔という印象は受けなかった。

彼女の尖った部分がヤスリで磨かれて丸みを帯びたようだ。


「そろそろ潮時なのかも…」

「何が?」


彼女は私の質問には答えなかった。

その代わりにこう言った。


「晴香ちゃん、必ず見つけてあげてね」


新妻優奈はそう一言言い残して、クラリネットのケースを大事そうに抱えながら去っていった。
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