ヘレナにはなれない
「さ、練習再開しようか。次はどこやる?」
呆然としている私に、さっさと立ち上がった田嶋君はそう言った。全く、変わり身が早い!私は急いで頭を切り替えて、答えた。
「え、前のシーンもっかいやるんじゃなかったっけ」
「んー、気分転換に他の所やろうよ。じゃあ47ページの頭からがいいな。始めるよ」
「まって、どのシーン?」
ひとりで勝手に決めてしまってさっさと準備を始める田嶋君に、私は慌てて声をかける。けれどそれよりも早く、彼は『デメトリアス』になった。
「『ヘレナ、』」
熱っぽい声で名前を呼んだ田嶋君は、そう言いながら私の右手を掴んで引き寄せる。まだ椅子から立ち上がってすらいなかった私は、台本すら持たずにされるがままになった。どうしよう、これじゃ、台詞が分からない。
「『暁の女神。今、やっと真実に目覚めた。俺には君しかいない』」
田嶋君は私が準備出来ていないことを分かっているはずなのに、台詞を止めてくれない。意図せず近い距離から覗き込まれて、その黒い瞳を近くに感じて、心臓が嫌な音を立てた。
「『これまでの浮気を許し、受け入れてくれるかい?』」