初恋の味は切なく甘い
惹かれあう二人

帰郷



 先程まで澄んだ青色に塗られていた空が、いつの間には鮮やかな夕焼け色に染まっている。

 私が立っている公園は小高い丘の上に作られていることもあって、遠くに涼みゆく夕日までしっかりと見ることが出来た。
 大きなビルもない地方の田舎町をぼんやりと見渡す。

 他の子はこんな田舎じゃなく、華やかな都会に思いを馳せるけれど、私はこののんびりとした町が好きだった。
 小さい頃から遊んできた小さな公園。本来なら久々に訪れたのだから、もっと感慨にふけってもよさそうなものだけれど、今の私の心は落ち着かずにふわふわしていた。

 それもそのはず。わたしは今から、――同級生だった男の子に告白するのだから。

 過去形なのは卒業したからだ。私達は今日、三年間通った中学校を卒業した。
 そのことは事実としては理解しているのだけれど、どうにもまだ感情が追いついていないように感じる。また明日学校に行って、みんなで騒がしく過ごすのだろうとどこかで願っているのだろうか。

 とはいえ、である。卒業式を終えてしまった今、高校ではまた別の道を歩むことになってしまった友人も多い。私の意中の人、竹中信人(たけなかのぶひと)もその一人である。皆からノブくんと呼ばれていた彼に告白できるのも、今日が最後なのだ。

 そう思うとドキドキしてきた。自身の頬が紅潮していくのを感じる。手のひらで触れると、案の定火照っている。

「落ち着きなさい佳奈。大丈夫よ。昨晩あんなに練習したじゃない」

 私は自身に言い聞かせるように小さく呟いた。
 一世一代の大勝負なのだ。寝る前に何度も反復した台詞は、まるで生まれたときから話していたかのように、流暢に口から零れ出るほどだ。

 よし! と私は微かに震える自身の身体を抱きしめるように、胸元で腕を交差した。

(深呼吸、深呼吸……)

 よし。段々と落ち着いてきた、その時。

「どうしたよ、沢城。こんなところに呼び出して」

 背後から声をかけられて、思わず身体がビクッと硬直した。
 ギギギと音がなっているかのようにぎこちなく振り向くと、そこにはまごうことなき信人の姿があった。

(ノ、ノブくん!? いつからそこに?)

 混乱した思考の中、彼の表情をおそるおそる伺う。
 ……そこにはいつもの、いや少し怪訝そうな顔の信人がいた。

「大丈夫か? 少し顔色が悪いぞ」

 心配そうに私の顔を覗き込んでくるノブくん。思わず硬直しそうになる。

(なにやってるのよ、私! これから告白するっていうのに、心配されてどうするの!)

 私は近づいたノブくんから一歩下がると、落ち着いた口調を心掛けて口を開いた。

「ノブくん。その、今日来てもらったのはね……」

 私の改まった声色を感じ取ったのだろう。ノブくんもまた、居住まいを正した。

「私、あなたのことが……!!!」





 ――ガタン!!

 一際大きな振動に、ぼんやりとした意識で目を覚ました。
 その刹那、ガラスの先を流れる眩しい光景に思わず視線をそらしてしまう。
 視界に入ってきたのは古びた幾つもの椅子が幾つも並べられている空間。

(そういえば、私はバスに乗ってたんだっけ……)

 社内の先頭に表示されている、次の到着するバス停の名前は『倉元駅前』。私の実家の最寄り駅だ。
 そう。私は東京から遅めの盆休みをもらって、実家に帰省する最中だった。長い旅路の疲れが出たのか、いつの間にか眠っていたらしい。
 私は心の中に残っている切なさに耐えるように腕を組むと、先程見た夢を思い返した。

(中学生の頃の夢を見たのなんて、いつぶりかしら。やっぱり少し疲れているみたいね)

 はあーーーっと思わず溜息が漏れる。思ったより大きな音に慌てて周りを見渡すが、離れた席に数人が座っているのみで、気に留めた人も見当たらなかった。都会ではありえない乗客の少なさだ。久しぶりに感じる故郷は、想像以上に過疎が進んでいるらしい。

(にしても……)

 私は先程の夢に意識を戻した。
 あれから十年以上。いくつか新たな恋も経験したのに、未だにどこか引きずっているということなのだろうか。それとも久しぶりの故郷の空気に触発されただけ?

(この胸の中に渦巻く感情。単なる懐かしさだけではない。……これは、不快感?)

 もう戻れないあの頃の眩しさに嫉妬でもしたというのだろうか。

 ……どうでもいいか。どうせ数日後にはまた忙しい日常に戻るのだ。過去の思い出とは、程々の距離感で付き合うに限る。
 私は強引に拙い思考を打ち切ると、気を紛らわせるように窓の外を流れる懐かしい景色にぼんやりと意識を移したのだった。

 料金を支払い、ハンドバックと大きなスーツケースをもって降りた私を出迎えたのは、親でも友人でもなく、容赦なく照りつける真夏の日差しだった。
 心地よい冷房に調整された体温が、一気に上昇し汗を滲ませる。

「こんなに暑かったっけ。夏はどこも鬱陶しいわね」

 思わず舌打ちが漏れそうになるのを耐えながら、重たい腕を引きずりながら歩き始める。
 周囲の店は面影もなく多くが閉まり、人の気配もたまに車が通るだけに留まっていた。

「本当に変わってしまった。何もかも、ね……」

 セミの煩さを疎ましく思いながら、私は日差しを避けるべく、道路を渡った先の坂上に見える実家を目指した。





 緩やかな坂に沿うように、バブル期に建てられた家々が、今なお住宅地を構成している。今は閑散としているが、朝の通勤時などには多くの人が行き交っているはずである。ただ、残っている者の多くは高齢になっているのも事実。暑い中、外を出歩く者もいないのだろう。

 そんな益体のないことを考えながら、息を切らせながら私は淡いオレンジ色の外壁が印象的な一軒家の前に立った。――私の実家だ。まだ私が十代の少女だった頃、夢と希望をもって旅立った我が家である。
 思い返せば、数えるほどしか帰省していない。悪いことをした。
 私は嫌な考えを振り払うように首を振る。肩まで伸びてきた髪がつられて動く。すぅーーっと息を吐くと、少し震える指でインターホンを鳴らした。


「はーーーい」

 ドア越しに小さく母の声が聞こえた。それだけで、私は少し動揺した。

(もう何年も顔をあわせていない。幾つも齢を重ねた私を見て、母は一体どんな顔をするのだろう)

 思わず後ろに一歩下がる。久々に味わう抗いようのない動揺。
 だが、そんな私の事情になど構うことなく、無情にも重厚な扉は少し軋みながらもゆっくりと開いていく。
 扉の向こうには、

 ――母が立っていた。

 最後に見たときよりも幾分か小さくなり、白髪やシワが増え、頼りなく感じたけれども、確かに大きくなるまで育ててくれた、大好きだった母がいた。
 母は私を見て少し驚いた表情を浮かべたが、すぐにそれは穏やかな笑みに変わった。そして私の頬に手を伸ばすと、優しく流れる雫を拭った。

「おかえり」

 短い言葉に多くの想いを感じて、私の眼から流れる涙を止めることが出来なかった。
 小さく嗚咽を漏らす私をそっと抱きしめてくれる母。
 私は爆発しそうな激情をなんとか抑えながら、ずっと言いたかったのだと気付いた言葉を、震える声で紡ぎ出した。


「ただいま」


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