私の知らないあなた
 陰性症状は長く続いた。

 暴力的になることがないぶん、そばにいる私は神経をすり減らすようなことはなかったが、本人はとても辛そうだった。

「ねえ、今度また山に行かない?きっと気分もよくなると思うよ」

 小さな子どものように膝を抱えソファーに寝転がる優斗は何も映っていないテレビ画面をぼんやりと見つめている。

「お弁当の中身は何がいい?優斗が好きなものなんでも作るよ。おにぎりの具はやっぱりシャケだよね。あ、ツナマヨも」

 私は一方的に話し続ける。

 会話らしい会話は陰性症状になってからずっとない。

 優斗はうん、とか、いらない、とかそんな短い返事しかしない。

 すればまだいい方だ。

「どの辺の山がいいかなあ、ねえ、私たちが初めて会った時に登った山に行きたいと思わない?」

「僕、生きてる意味あんのかなぁ」

 優斗は呟いた。

 心臓が高鳴る。

 私はたたんでいた洗濯物を放り投げて優斗に駆けよった。
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