恋の人、愛の人。
テーブルに土鍋を置き、蓋を開けた。湯気が上がり鮭と葱の香りも上がった。
「あぁ…旨そうだな…面倒をかけたね」
「いいえ、おだしは取ってないので、そこは手抜きです」
「ん?いや…気にならないよ」
「では、取り分けます」
小皿に入れた。
「部長、おしぼりの用意がありませんので、手はこちらで洗われますか?何だかキッチンでなんてすみませんが」
流しに来てもらって水を出した。
「ああ、有り難う。私は極普通の人間だぞ。お店のようにおしぼりの催促などしやしない」
「すみません…何だか、要領がよく掴めなくて」
「普通だよ、普通。家ならしてる事だ。これで拭いていいよな?」
流しに取り付けてあるタオル掛けのタオルに触れた。
「あ、いいですけど、いいですか?今、新しいタオルを…」
「だからこれでいいならこれでいいんだ」
「…すみません。濡れてると思ったもので。それに葱の匂いがもしかしたら…」
「あ、別に怒った訳じゃない、これで大丈夫だ」
丁寧に拭き終わるとテーブルについた。
「…はい。では、お茶を入れますので、召し上がってみてください。ぁ、浅漬けも出しますね」
冷蔵庫から漬けた野菜の入った容器を取り出し小鉢に入れた。鰹節を少しかけた。
「白菜の下の固い白い部分が好きで、よくこんな風に漬けるんです。お口直しにでも召し上がってください。あ、本当…、こんな物…庶民ですみません」
遠慮気味にコトッと置いた。あ、お箸。
「だから…はぁ。私も白菜の漬け物は好きだ。普通だと言っているだろ。…さあ、梨薫さんも、座って一緒に食べよう」
「あ、はい。お茶を入れたら……はい、…どうぞ」
向き合って座った。
「では頂きます」
「はい、どうぞ」
「…あっつ……熱いな…」
「あっ。大丈夫ですか?…フフ。…すみません。フフフ。何だかごめんなさい」
「熱い物がどうも苦手でな…」
「いいえ違います。雑炊は誰でも熱いですよ。ごめんなさい。
そうではなくて、…熱いなって言った声が渋過ぎて…良過ぎて、ツボに…すみません。部長は普通に言っただけなのに、笑ったりして」
…。
大丈夫ですか?とボックスティッシュを勧めた。
「あ、ティッシュなんて…」
「だから…、ティッシュで大丈夫だ。私だって普通に使ってる」
「…はい、…すみません」
部長は口元を押さえた。
急いでお水をグラスに入れて出した。
「極々普通のミネラルウォーターですが。…どうぞ」
…。
「だから…、私は普通だと言っている」
「あ。でも…どうしても…お水も高い物を飲まれているのではと…思ってしまって…」
「はぁ…早く食べなさい。せっかくの雑炊が膨張してしまう」
「…はい」
呆れるのを通り越しちゃったかな。だって…そう思ったんですから…仕方ないです。