恋の人、愛の人。


「帰ります。ご馳走様でした」

「そうか。ご飯は?」

「あ、フフフ。まだです。いつも有り難うございます。食欲増進の食前酒を頂いたと思って、ちゃんと帰って食べますから。大丈夫です」

「そうか」

…、あ。

「ここで頂いても陽佑さんの為にはなってないでしょ?ほら、元々まかない的な物を私が横取りしてるような訳だし、だから売り上げにもなって無いし。陽佑さんの分が毎回減ってもいる訳でもあるし」

「そんなのはいいんだ。…梨薫ちゃん…部屋、引っ越してみる気はないか?」

「あ…うん…そうですね、でも、もう少し居ます。…解ります。陽佑さんの言いたい事は解ります。ずっとあそこに居ては囚われてしまうからって。…私も、引っ越しした方がいいのかなって何となくですけど思ってます。それは多分、今更って…感じでもありますよね。色々、山も谷も、今まで越えて来たし…。こういうのは谷って言うんですかね。
もっと昔に、早い内に越していたら、もっと早く気持ちに踏ん切りがついていたのでしょうけど…。今だって、違う部屋に居たら、思い出し方も少しは違ってたはずですよね。あそこに居なければ、この部屋で一緒に居たのにって、……ここに座っていたとか具体的に思わないで済む部分がありますから」

一緒に並んで…肩をくっつけてソファーに座っていたとか。ベランダで一緒に夜空を見上げたとか…。向かい合って、話をしてご飯を食べたとか…。
撮り溜めたDVDを休み前の深夜に観て、そのまま眠って…翌朝…自然に目が覚めるまで抱き合って眠っていた…とか。
思い出せば沢山ある。
空間を見るだけでも思い出す事は沢山ある。…思い出す事ばかり。

私はまだ稜と一緒に暮らして居るのと変わらなかったんだ。…ずっとだ。一人になった事、受け入れられなくて…私は一人になりたくなかったんだ。もう、とうの昔に終わった事だと言いながら、未練がましくあの部屋で稜を無意識に感じて暮らしていたんだ。…もしかしたら…帰って来るんじゃないかって。ずっと待っていたんだ…。

「引っ越そうと思ったら力になるから、言って?」

「…あ、はい…有り難うございます。では、帰ります。おやすみなさい」

「ん。おやすみ。…大丈夫か?しっかりして、気をつけて帰れよ」

「あ…はい」

…ん?…大丈夫か…念押しした意味、ちゃんと伝わったのか?
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