恋の人、愛の人。


「ご馳走様でした」

表通りまで送って貰った。車から降りて来た部長にドアを開けられ、手を取られて慎重に降りて、お礼を言った。

「少しはマシになって来たかな?」

「え?」

マシ…?

「行きの時より、今は大分、リラックスしたように見える」

「あ、はい。少しお話もしました。それから、ご飯はとても美味しかったし。お腹一杯になりました」

二人で食べるには充分過ぎるほどだったから。

「初めは味がよく解らなかっただろ」

「はい。このままでは最後まで味が解らないかもと思いました。味どころか、喉を越すだろうかって。あのような…身分不相応なところはもう懲り懲りです。何もかも、色んなモノ全てに緊張しますから」

「そうか…だが、身分云々なんて事は言うな。
そんな考え方は間違ってる。…また誘いたい。それから、私の言った事は真面目に考えて欲しい。私は…毎朝、廊下で君に会って、君の元気な顔を見て、言葉を交わす事が唯一の喜びなんだ。…最近は会わないな。
私はいつも決まった時間に通っているのに」

あ、それは、私がまちまちになったからだ。

「…別れ難いな」

…え?

「最初だから、まだ…何もしてはいけないかな…」

部長…。なんて色気のある人…。これは夜の部長だ。声もとても有効に働いている。
…あっ。周りがザワザワし始めた。車の脇の歩道で話していた。腕を引かれて抱きしめられていた。
今度は逃がさないからな…。
抱き込まれた腕の中で囁かれたそんな言葉が微かに聞こえた。
今度?…。前回は逃した、という事?…。それは今夜のことだろうか、それとも10年前の事を言っているのだろうか…。よく解らない…。

「…おやすみ」

耳にちょっとだけ唇が触れた。…。身体が緊張で硬くなっていた。
トン、トン、と背中に触れられ、はっと我に返った。
腕を軽く掴まれ身体が離された。

「ぁ…あ、すみません…おやすみなさい…」

ボーッとしていた。部長が車に乗り込み走り去るのを見送った。

…はぁ。ドックンドックン胸が騒がしい。
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