恋の人、愛の人。
「…梨薫さん?」

朝起きたら梨薫さんはもう居なかった。
代わりにサンドイッチがテーブルに置いてあった。

『コンビニの物よ。見れば解るわね。たまには朝食を食べなさい。珈琲は自分で入れるのよね?』

…はぁ、俺の方が熟睡してしまったか…。身体から離れた事、全く気がつかなかった。
パジャマ代わりのTシャツの左胸が何だか湿っていた。
これは梨薫さんの涙だろう。
昨夜、眠った梨薫さんの、俺のシャツを握る手を握った。背中に手を当て抱き寄せた。…抱きしめた。

はぁ…。ここを出る時に話せるだろうか。
いつまでも言わない訳にもいかないよな。



店の裏の鍵を開けて中に入るとカチャカチャと食器の音が聞こえて来た。

お店を覗いた。

「…おはよう?…ござい、ま、す?」

「お。堂々と朝帰りか?」

陽佑さんだ。
部屋をノックしたんだ。だから居ないって知ってたんだ。

「それは違うような気がします。何て言うか、部屋に帰ってました」

「…そうか」

いつも何も聞かない。陽佑さん、今の時間に居るって事は変わらず来てくれていたんだよね…。
カウンターのあるフロアの方に行った。

「私…悪魔になりそうです」

「んー?知ってるよー?
悪魔っていうか、前からそうだよ?俺から見たら、梨薫ちゃんは、立派な小、悪魔かな?」

え?

「フ。解んないだろ。無意識の時と、ちょっと自覚がある時とな。
ほい、出来た。
今朝はマフィンにしてみたぞ」

そうなんだ…。そうよね、気持ちを知ってて、黒埼君に酷い事、してるもんね…。

「ちょっと自分でも酷いと思って、しちゃったから、きっと、何かで罰が当たります」

…しちゃった?…何だと?…聞き捨てならない動詞だな…。シたのか…だから朝帰りなのか…。はぁ。もう……。

「…かもな」

え?……。

「それで、いい思いというか、自分に都合よくしてるんだから、罰が当たると思ってるなら、結果、何かと引き換えだよ。当たっても仕方ないよな」

「…ですよね」

「そういう…殊勝な気持ちも勿論大事だし。まあ、そうだな…大概、小悪魔は許されるよ。多分な?
自分に好意的な相手にしかしないからだ。だから、ずる賢い小悪魔なんだ」

…。

「はい。冷めない内に食べちゃって?単純に旨いから」

珈琲を入れカウンターに置いてくれた。
頭をくしゃくしゃにされた。

「本当…連絡が欲しい時には、くれないしな〜」

「え?」

「まあ、俺の勝手な心配だけど、昨夜、店をしまう時間になっても帰って来て無かったからな…それって普通に気になると思わないか?」

「あ、もう本当そうですよね。…ごめんなさい…」

我が儘で。

「いや、別に責めてる訳じゃ無い、それはいいんだ。好きに使っていいって言ってあるのはこっちだから。深く干渉するつもりは無いんだ」

今の俺の立場では、無いんだ、と言うしかないからな。

「でも、気をつけます。…あ」

「んどうした?」

「あの、多分ですけど、週末辺りで、自分の部屋に戻ると思います」

「…そっか」

それはつまり、黒埼君も自分の部屋に帰るって事だよな。
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