フラれるならこの日がいい。
Character1 本野実希
【夏菜side】 もったいない。
夏菜side
30分間の体育館監視を終え、私と隼人は生徒会室で一旦別れた。
私はテープなどを持って、掲示物がはがれていないかなどの確認に、隼人は、校内のゴミ袋を代えに、先輩方と人混み溢れる校内へ繰り出した。
クラスの宣伝ポスターを壁に留めているテープは、あまりの暑さで溶けきっていた。
どこが粘着面か分からないほどベッタベタなのに、ポスター1枚にかかる重力すらも支えきれない能なしテープをはがす。
もちろん貼り返すテープも同じものだ。学校祭が終わる頃にはポスターはただの紙くずと化して床に散らばっているのだろう。
昨日、今日と何回くぐったか分からない、立ち入り禁止の青いスズランテープはガムテープで貼ってあるため暑さで溶けることはなかったが、何だかすごくくたびれているので、貼り直すことに決めた。
校内にある立ち入り禁止のポイントは限られているが、全階2カ所ずつあるため、移動にすごく疲れる。
しかし、校内をどう歩いたら1番効率がいいか考えるのは、もうお手の物だ。
そう時間をかけずに、最後の1カ所まで辿りつく。
そこで、私は不快な音を聞いた。
正確には、男子特有の笑い混じりに話すときの、少し上ずった高い声だ。
「いいじゃん! 行こう?」
「ねぇ?」
次に回る場所を相談しているらしい。立ち入り禁止区域内の、比較的静かな廊下に、男子の声が響く。
言うまでもなく、私はそういう声を出す男子が苦手だった。
彼らの傍でせっせと作業をするのは、精神的にクるものがあるだろうな、と想像して、体育館を出てから動き続けていた足が止まった。
(どうせはがれてないだろうし、あっちはいっか)
1度止まった足には、さっきまで感じていなかった疲労が蓄積していた。
今から生徒会室に帰るのもダルい。
そう考えていた次の瞬間、あることをキッカケに、私の足はいとも容易く動き始めた。
「だから、そういうのはいいんだってば!」
男子の下卑た笑いに混じり、女子の軽いよく通る声が聞こえた。
あの誘いの言葉は、まさかナンパだったのか。
女子を助けるのに女が行ってどうする、という疑問を持つ前に、私は彼らの前に姿を表してしまった。
ナンパをしている光景なんて、見たのは初めてだ。
もちろん、それを嫌がる女子の救済に入るのも。
男子2人の視線を感じながら、その子と目が合ったとき、何を考える前に、私の口からは自然と言葉が発せられていた。
「どうしたの? 探したよ?」
咄嗟の芝居を打つとともに、「あ」という驚きの声が私の中に飲み込まれた。
さきほどまで嫌悪の対象だった男子2人は、私の中学校時代のクラスメイトで、絡まれていた女の子は、隼人の元カノだった。
本野実希(もとの みき)。
隼人の元カノで、今も彼の心を掴んで離さない、この辺りでは有名な美少女。
有名な理由は、単純に可愛い、ということだけではなかったが、私は詳しくは知らない。
断片的に聞いた情報だけで、もし彼女の人格を判断すれば、間違いなく良い印象は抱かない。
そういう女の子だ。
だけど。
これもまた偏見だが、隼人が選んだ女の子が、全くの悪人であるとは思えない。
それどころか、隼人が好きな子っていうだけで、好感度は上がる。
私からすれば謎の可愛い女の子。
つまり要約すれば、私と本野実希は「探したよ」なんて言える間柄ではないのだ。
本野実希は、一瞬困惑の表情を見せて、すぐに私の意図を理解した。その証拠に、彼女は小さく私に向かって頷いて見せた。
しかし先に反応したのは、元クラスメイトの男子たちだった。
「えっ!? 夏菜!?」
「うわぁ、久しぶり!」
人なつっこい彼らは、私に対しても明るく接する。
こういう人たちは、1度関係を持ちさえすれば、そこまで警戒をしなくても、ちょうどいい距離を保ってくれる。
私は、彼らが保つ距離に、何も考えずに身を置けばいいのだ。
「久しぶり。元気そうだね」
「おう! なに、夏菜、実希ちゃんと知り合いなの?」
「うん」
素知らぬ顔で嘘を吐く。
私が一方的に名前と顔を知っていただけだ。
これ以上嘘を重ねるのが辛くて、私はこの場の収拾を急いだ。
「私が先に回る約束してたの。そっちは2人で回って」
「え~!? せっかく実希ちゃんに会えたのにさー。実希ちゃんも夏菜の友達なら、俺たちのこと怖くないでしょ?」
「え、いや、まぁ、それはそうかも、だけど」
しまった。
逆に逃げ道をふさいでしまったか。
次に言う言葉を考えていると、彼らのうちの1人が、本野実希の肩に触れようとした。
男の大きな手が、彼女の華奢な身体に迫っていくとき、私は悲しそうに笑う隼人を思い出して、思わず彼の手を払った。
「止めて」
思ったより高い声が出た、と自分では感じた。
それだけ切羽詰まって興奮していたのだ。
隼人ですら、本野実希の隣に並ぶことが許されないのに、
「あなたたちが触っていい女の子じゃないのよ」
本野実希を前にして、私はこれっぽちも彼女のことなんか考えていなかった。
しばらく言葉に詰まった彼らを、私は怒らせたかと、正気に戻って怖くなる。
「・・・・・・なんだよ、冗談じゃん。そんな怒んなって」
「そうだよ。まぁ、ごめんって。ね、実希ちゃんも」
「あ、うん」
しかし、意外にも彼らの反応は明るくて、私は思わず面食らう。
「てか、夏菜、生徒会入ったんだ」
私のTシャツに付いている腕章を見て、元クラスメイトは言う。
「うん」
「大変そうだねー。頑張ってー?」
「ありがとう、そっちもね」
「また今度、中学の皆と遊ぼうよ。連絡とる」
「うん、いいね。じゃあ、また」
最後は、同級生らしい、随分と平和的な会話をして別れることができた。
小さな違和感が残る。
しかし、そんなのはすぐに忘れるものだ。
「ありがとう、夏菜ちゃん。助かった~」
緊張の解けた本野実希の声は、女の子らしく優しく可愛らしかった。
「夏菜でいい。こちらこそ、勝手に友達のフリしてしまってごめん」
「いいの! だって、今から友達になればいいんだもん」
なるほど、嘘は事実に変えてしまえば、罪にならないと。
彼女がそんなことを考えているかは知らないが、本野実希なら無意識にそういうロジックを組み立てていそうだ。
「・・・・・・そうだね」
「私のことも実希でいいよ。この後時間があるなら、一緒に回らない?」
「あぁー・・・・・・」
腕時計を確認して、これからの仕事を頭に思い浮かべる。どう工夫しても、学祭を楽しむ時間的余裕はなかった。
「ごめん。これから生徒会執行部の仕事があるんだ」
「あぁ! そっか、夏菜、生徒会に入ってるんだもんね」
「うん」
全ての男がほだされそうな笑顔を、私に向ける。
もったいないよ、と言いたかった。誰彼かまわずそんな表情を向けては、もったいない。
その笑顔のまま、実希は自然となんの躊躇いも感じさせずに、私に尋ねた。
「隼人は元気にしてる? てか話す?」
「うん。隼人とは、友達だよ」
「本当に?」
「うん。すごく話すし、隼人は元気だよ」
「良かった」
どの口が言うのだろう。
好きな人と結ばれず、また想いを忘れきることもできないのに、元気であるわけがない。
私と違って、隼人は一旦、彼女を手中に収めることに成功してしまったのだ。
夢から覚めた彼に、残るものは何もないから。
未だに、唯一形のある、あなたにすがってしまうんだろう。
よかった。
あのとき、彼らに実希を触らせなくて。
例え、彼女が自ら誰かに触らせていても。
「ねぇ、実希の連絡先教えて?」
「あ、いいよ~」
大収穫だ。
こんなことをしている間に、私は直に告白したことも、フラれたことも、忘れていた。
私にとっての大事なものの順位が、次々と塗り替えられていく。
私はこれから、それに、気づかないまま、長い期間を過ごすことになる。
30分間の体育館監視を終え、私と隼人は生徒会室で一旦別れた。
私はテープなどを持って、掲示物がはがれていないかなどの確認に、隼人は、校内のゴミ袋を代えに、先輩方と人混み溢れる校内へ繰り出した。
クラスの宣伝ポスターを壁に留めているテープは、あまりの暑さで溶けきっていた。
どこが粘着面か分からないほどベッタベタなのに、ポスター1枚にかかる重力すらも支えきれない能なしテープをはがす。
もちろん貼り返すテープも同じものだ。学校祭が終わる頃にはポスターはただの紙くずと化して床に散らばっているのだろう。
昨日、今日と何回くぐったか分からない、立ち入り禁止の青いスズランテープはガムテープで貼ってあるため暑さで溶けることはなかったが、何だかすごくくたびれているので、貼り直すことに決めた。
校内にある立ち入り禁止のポイントは限られているが、全階2カ所ずつあるため、移動にすごく疲れる。
しかし、校内をどう歩いたら1番効率がいいか考えるのは、もうお手の物だ。
そう時間をかけずに、最後の1カ所まで辿りつく。
そこで、私は不快な音を聞いた。
正確には、男子特有の笑い混じりに話すときの、少し上ずった高い声だ。
「いいじゃん! 行こう?」
「ねぇ?」
次に回る場所を相談しているらしい。立ち入り禁止区域内の、比較的静かな廊下に、男子の声が響く。
言うまでもなく、私はそういう声を出す男子が苦手だった。
彼らの傍でせっせと作業をするのは、精神的にクるものがあるだろうな、と想像して、体育館を出てから動き続けていた足が止まった。
(どうせはがれてないだろうし、あっちはいっか)
1度止まった足には、さっきまで感じていなかった疲労が蓄積していた。
今から生徒会室に帰るのもダルい。
そう考えていた次の瞬間、あることをキッカケに、私の足はいとも容易く動き始めた。
「だから、そういうのはいいんだってば!」
男子の下卑た笑いに混じり、女子の軽いよく通る声が聞こえた。
あの誘いの言葉は、まさかナンパだったのか。
女子を助けるのに女が行ってどうする、という疑問を持つ前に、私は彼らの前に姿を表してしまった。
ナンパをしている光景なんて、見たのは初めてだ。
もちろん、それを嫌がる女子の救済に入るのも。
男子2人の視線を感じながら、その子と目が合ったとき、何を考える前に、私の口からは自然と言葉が発せられていた。
「どうしたの? 探したよ?」
咄嗟の芝居を打つとともに、「あ」という驚きの声が私の中に飲み込まれた。
さきほどまで嫌悪の対象だった男子2人は、私の中学校時代のクラスメイトで、絡まれていた女の子は、隼人の元カノだった。
本野実希(もとの みき)。
隼人の元カノで、今も彼の心を掴んで離さない、この辺りでは有名な美少女。
有名な理由は、単純に可愛い、ということだけではなかったが、私は詳しくは知らない。
断片的に聞いた情報だけで、もし彼女の人格を判断すれば、間違いなく良い印象は抱かない。
そういう女の子だ。
だけど。
これもまた偏見だが、隼人が選んだ女の子が、全くの悪人であるとは思えない。
それどころか、隼人が好きな子っていうだけで、好感度は上がる。
私からすれば謎の可愛い女の子。
つまり要約すれば、私と本野実希は「探したよ」なんて言える間柄ではないのだ。
本野実希は、一瞬困惑の表情を見せて、すぐに私の意図を理解した。その証拠に、彼女は小さく私に向かって頷いて見せた。
しかし先に反応したのは、元クラスメイトの男子たちだった。
「えっ!? 夏菜!?」
「うわぁ、久しぶり!」
人なつっこい彼らは、私に対しても明るく接する。
こういう人たちは、1度関係を持ちさえすれば、そこまで警戒をしなくても、ちょうどいい距離を保ってくれる。
私は、彼らが保つ距離に、何も考えずに身を置けばいいのだ。
「久しぶり。元気そうだね」
「おう! なに、夏菜、実希ちゃんと知り合いなの?」
「うん」
素知らぬ顔で嘘を吐く。
私が一方的に名前と顔を知っていただけだ。
これ以上嘘を重ねるのが辛くて、私はこの場の収拾を急いだ。
「私が先に回る約束してたの。そっちは2人で回って」
「え~!? せっかく実希ちゃんに会えたのにさー。実希ちゃんも夏菜の友達なら、俺たちのこと怖くないでしょ?」
「え、いや、まぁ、それはそうかも、だけど」
しまった。
逆に逃げ道をふさいでしまったか。
次に言う言葉を考えていると、彼らのうちの1人が、本野実希の肩に触れようとした。
男の大きな手が、彼女の華奢な身体に迫っていくとき、私は悲しそうに笑う隼人を思い出して、思わず彼の手を払った。
「止めて」
思ったより高い声が出た、と自分では感じた。
それだけ切羽詰まって興奮していたのだ。
隼人ですら、本野実希の隣に並ぶことが許されないのに、
「あなたたちが触っていい女の子じゃないのよ」
本野実希を前にして、私はこれっぽちも彼女のことなんか考えていなかった。
しばらく言葉に詰まった彼らを、私は怒らせたかと、正気に戻って怖くなる。
「・・・・・・なんだよ、冗談じゃん。そんな怒んなって」
「そうだよ。まぁ、ごめんって。ね、実希ちゃんも」
「あ、うん」
しかし、意外にも彼らの反応は明るくて、私は思わず面食らう。
「てか、夏菜、生徒会入ったんだ」
私のTシャツに付いている腕章を見て、元クラスメイトは言う。
「うん」
「大変そうだねー。頑張ってー?」
「ありがとう、そっちもね」
「また今度、中学の皆と遊ぼうよ。連絡とる」
「うん、いいね。じゃあ、また」
最後は、同級生らしい、随分と平和的な会話をして別れることができた。
小さな違和感が残る。
しかし、そんなのはすぐに忘れるものだ。
「ありがとう、夏菜ちゃん。助かった~」
緊張の解けた本野実希の声は、女の子らしく優しく可愛らしかった。
「夏菜でいい。こちらこそ、勝手に友達のフリしてしまってごめん」
「いいの! だって、今から友達になればいいんだもん」
なるほど、嘘は事実に変えてしまえば、罪にならないと。
彼女がそんなことを考えているかは知らないが、本野実希なら無意識にそういうロジックを組み立てていそうだ。
「・・・・・・そうだね」
「私のことも実希でいいよ。この後時間があるなら、一緒に回らない?」
「あぁー・・・・・・」
腕時計を確認して、これからの仕事を頭に思い浮かべる。どう工夫しても、学祭を楽しむ時間的余裕はなかった。
「ごめん。これから生徒会執行部の仕事があるんだ」
「あぁ! そっか、夏菜、生徒会に入ってるんだもんね」
「うん」
全ての男がほだされそうな笑顔を、私に向ける。
もったいないよ、と言いたかった。誰彼かまわずそんな表情を向けては、もったいない。
その笑顔のまま、実希は自然となんの躊躇いも感じさせずに、私に尋ねた。
「隼人は元気にしてる? てか話す?」
「うん。隼人とは、友達だよ」
「本当に?」
「うん。すごく話すし、隼人は元気だよ」
「良かった」
どの口が言うのだろう。
好きな人と結ばれず、また想いを忘れきることもできないのに、元気であるわけがない。
私と違って、隼人は一旦、彼女を手中に収めることに成功してしまったのだ。
夢から覚めた彼に、残るものは何もないから。
未だに、唯一形のある、あなたにすがってしまうんだろう。
よかった。
あのとき、彼らに実希を触らせなくて。
例え、彼女が自ら誰かに触らせていても。
「ねぇ、実希の連絡先教えて?」
「あ、いいよ~」
大収穫だ。
こんなことをしている間に、私は直に告白したことも、フラれたことも、忘れていた。
私にとっての大事なものの順位が、次々と塗り替えられていく。
私はこれから、それに、気づかないまま、長い期間を過ごすことになる。