転職先の副社長が初恋の人で餌付けされてます!
【5】流星は一人で
 翌日、いっそ休んでしまいたかったが、仕事をおろそかにはできない。李江が出勤すると、拓武はしばらく自宅にこもって作業をする事になった為、用件はチャットかメールで回すよう、伝達があった。拓武に合わせる顔が無い李江は少しホッとした。

「李江ちゃん、元気ないね、何かあった?」

 星野が心配して声をかけてくれたが、説明ができず、

「大丈夫ですよ」

 と、ひきつった笑顔を見せるのがせいいっぱいだった。

「あ、週末、どっか行かない? 温泉とか」

「すみません、週末は、ちょっと予定が……」

「そっか……もし、悩みとかあったら、言って? 私、こう見えても口は堅いから、ね」

 星野の優しさが、今は辛かった。しかし、いつまでもこのような状況を続けるわけにはいかない。李江は、決めていた。思いに決着をつけようと。ちゃんと忘れられるように。

 幸い、今年のオリオン座極大日は土曜日。李江は、『はじまりの場所』で、一人、すべてを吹っ切ろうと心に決めていた。

 既に芦名家の別荘は人手に渡っていたが、今はペンションになっていて、宿泊が可能だった。シーズンオフの為か、週末ではあったが、予約は直前でもとれた。新幹線とジェットフォイルを乗り継いで、懐かしい場所にたどりついたのは夕方だった。

 湾に沈む夕日を見て、夜の星空が期待できそうだとうれしくなる。

 最後に、のんびり星空を眺めたのはいつだったろう。

 ペンションに戻り、夕食をとった。女の一人旅には少し贅沢なほどのカジュアルフレンチはすばらしく美味だったが、一人で食べるのは少しだけ味気なかった。

 拓武は、李江の食べっぷりがいいと言っていたが、それは拓武だって同じだ。互いが美味しいと感じる料理を楽しむという事が、幸せだったという事を、今更ながらにかみしめる。

 拓武の縁談の相手だというあの美女とも、拓武は同じように食事をして、微笑みをかわすのだろうか、そんな想像をすると、少しだけ胸が痛んだ。

 体が冷えそうなので、入浴は後にすることにして、少し早めに外に出ると、すっかり日も暮れている。秋の空は、目立つ星が少ないが、島の澄んだ空気、周囲に光源が無いため、小さな瞬きもはっきりわかるほどに暗い。天の川は、夏より少しだけ淡く見えた。
 ここならば、みなみのうお座のフォーマルハウトも見られるのではないだろうか。

 さっそく一つ見えた流れ星に、思わず息を止める。

 何を願おうか、考える暇もないほどに、一つ、また一つと、星が流れる。

 星がひとつ流れるたびに、拓武との思い出が消えていくような、そんな気がする。忘れてしまおう、何もかも。

 面接で再会した事も、
 約束を覚えていてくれた事がうれしかった事も、
 共に過ごした時間を、
 一瞬だけ触れあった……熱の事も。

 夜が明けて、太陽が登ったら。

 ……その時だった、海岸にるのは李江だけだったが、人影が近づいて来る。今日は流星群の夜、自分以外に誰かが来てもおかしくは無い。もしかしたら、もっと人が増える可能性だってある。
 とっさに、懐中電灯をいつでも照らせるように握り直し、身構えた。

「……もしかして、そこにいるのは芦名君か?」

「……脇田、さん、どうしてここに?」

 それは李江が忘れようと努めていた相手、拓武だった。到着したばかりなのか、かばんを持ったままだ。

「何でって、俺は毎年ここに来ている。あの約束の日から、オリオン座流星群が極大の日は必ず」

 驚いた。確かに面接の時、あの約束の日にここに来ていたという事は聞いていたが、まさか、それ以降毎年ここに来ていたとは……。

「まさか、君がここにいるとは思っていなかった。……いや、いつか、ここで会えるんじゃないかと今までは思ってた、でも、今年で最後にしようと思っていたんだ」

 ……、まさか、拓武も終わらせる為にここに来るとは思っていなかった。李江は、三度目の逃げ出したい衝動にかられていた。

「あのね、芦名君、誤解があるようなので、きちんと話をさせてもらえないだろうか。……あの時は、ちょっと、俺自身が暴走してしまって、きちんと話しができなかったから」

 あの時、の事を思い出すと、李江は恥ずかしくていたたまれなくなる。自分からも求めてしまった事。理性を失いかけてしまった事が。

 護岸用のコンクリートに並んで座る。

「まず、俺に縁談は無い」

「え? じゃあ、先日ご一緒だったあの女性は?」

「先日?」

「脇田さんが外出されて、一緒に戻られた方です」

 拓武は少し考えて、ようやく思い出した様子で、ため息をつき、言った。

「彼女は……、次回プロジェクトで共同開発を行う予定だった他社のプロジェクトリーダーだ……そして、その共同開発は無くなった。うちで全部やる事になった……、というか、した」

「どういう事ですか?」

「詳しい事情ははぶくが、先方が降りたんだ、だから、もう多分会うことは無い。どこか別のプレゼンで競合する可能性はあるけれど」

「そもそもどうしてそんな誤解が生じたんだ……」

 問いつめられて、社長の三鷹と、人事の新浦の会話について説明する。もちろん寺田の名前は出さない形で。

「……なるほど、そういう事か。とんだ空白補完だ……」

 拓武がつぶやいた。

「あるいはフォールスメモリーか、まあ、どっちでもいいか」

「芦名君、君が持っている事実と俺が持っている事実が違うから、同じ会話からでも導かれる話が異なってしまってる。まだるっこしいので結論から言うと、俺は君が好きだ」

「ちなみに、転職エージェントから紹介された中から君を見つけたのは新浦で、俺は面接の前から君がうちに応募してきた事を知っていた。知っていて俺が面接した。縁故採用だ、かといって、君に実力が無くてゲタをはかせるような事はしていない。縁故が無くても君は採用されていた。単純に君との再会がうれしくて俺が横槍を入れただけだ。公私混同については詫びる。すまない」

 一度に大量の情報が入ってきて、李江はフリーズしてしまう。李江が固まっているのをよそに、拓武はさらに続けた。

「正しくは、最初に会った時から俺は君が好きだった。けど、あのとき俺は二十歳で君は十六歳。条例違反だ、だから距離を置くことにした」

「……もしかして、二年後っていうのは……」

 李江はめまいがしそうだった。再会について抱いていたロマンチックなイメージに少しひびが入ったような気がしていた。

「でも、私、社長令嬢ではなくなりました」

「もしかして、あの時うちの親父が言った事を気にしていたのか……。そうじゃないかと薄々感じてはいたが……」

 拓武は、李江に向き合い、両手で李江の両肩を掴み、まっすぐ目を見てこう言った。

「父の会社の事は関係無い。出会ったきっかけは父同士の交流ではあったけど、俺が好きになったのは君であって、君の立場や、生まれではないよ?」

「……君は? 俺をどう思ってる? 結局、いつも逃げられてしまってる、今度は逃がさない、教えて」

 真剣なまなざしに、李江も覚悟を決めた。

「……です」

「聞こえない、もっと大きな声で言って」

「……私も、好きで」

 最後まで言い終わる前に、拓武が李江を抱きしめた。拓武の肩越しに一つ星が流れる。一つ、もう一つ。流れる星を見ながら、李江も両腕に力をこめて、拓武を抱きしめたのだった。
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