転職先の副社長が初恋の人で餌付けされてます!
【3】副社長は私以外には無口らしいです
その夜の飲み会は、住宅地の少し目立たない場所で、地下にあるイタリアンだった。素材の味を活かすソースが絶品で、もちもちのパスタやピザ、魚介類の料理は盛りつけも華やかで、見た目にも食欲をそそる。
「ここねー、ランチも美味しいんだよ」
李江の近くに座っている、同じチームの星野沙苗(ほしのさなえ)が赤ワイン片手に教えてくれた。
「今度一緒に来ようね、なーんか、入社以降ずーーーっと脇田サンに持ってかれちゃってたけど、来週、ね」
星野は李江より三つ年上の二十九歳。李江同様中途採用だが、既に入社して二年になるのだそうだ。ほがらかで話やすい女性で、デスク周りはかわいらしいグッズで埋め尽くされるほどにキャラクターグッズ好き。ゆるキャラがツボらしく、ほんわかした空間を作っている。
「脇田さんと言えば、俺、あの人があんなにしゃべる人だと思わなかった」
もう一人は寺田滋斗(てらだしげと)。二十五歳で、入社一年目。ガタイがよく、どこから見てもスポーツマンといった風貌で、半袖のポロシャツから除く二の腕はたくましいが、特にスポーツはやっていないらしい。
鍛えるのが好きなんだって、ナルシスト? ってやつ。と、星野は言う。
「朝、会社来る途中に捕まって、話しかけられたから、何かと思ったら、しばらく芦名さんは自分がランチに連れて行くから、チームでのランチは歓迎会以降にしてくれってさ」
「私はチャットで言われた。グループチャットじゃなくて直接きたから何かと思ったよ……」
そう言って星野は遠い目をする。よっぽど驚いたのだろう。
「脇田さんて、リアルも無口ですけど、チャットでも文章になってないっつーか」
苦笑しながら寺田も言う。
「基本単語だよね、それが、ちゃんと文章打ってて驚いた、アレ、下手したらエディタで一度文書作成してるよね」
しばし、星野と寺田の脇田評が続いた。おおっぴらに拓武の話ができるのは、今現在拓武がこの場にいないからでもある。何でも、急な対応が一件入ったのだと、拓武他数名がまだ社に残っているようで、全員揃ってはいなかったのだ。
「で、さ、李江ちゃんと脇田サンってどういう関係なの?」
声をひそめるようにして星野が言ったが、周辺も静かになって、李江は絶句する。
「え……っと」
どうしよう、と、李江が困っていると、
「父親同士が知り合いなんだ」
いきなり拓武が話に加わった。
拓武を含めた遅れていたメンバーがやって来たのだった。
李江は、驚いて、はやる鼓動を必死に抑えていたが、全員揃ったところで、と、再び乾杯が始まるなどして、周囲がざわつき出した。
拓武は社長の三鷹に呼ばれて別のテーブルへ移動し、再び李江は星野と寺田から質問を受ける事になった。
「幼なじみとか、そんな感じ?」
と、寺田。
「いえ、それほどつきあいがあったわけではないんです。一度会っただけで……」
「そういえば、脇田サンのお父さんって、食品メーカーの社長なんだっけ」
ふいに思い出したように、星野が言った。
「え?!マジっすか? 脇田さんって御曹司?」
寺田は驚きつつも、拓武の耳に入らないよう配慮して声を抑えるようにして言い、続ける。
「じゃあ李江ちゃんもお嬢様とか?」
寺田に合わせるように李江も小さな声で言った。
「いえ、単に昔取引先だったってだけです、今、父は会社は辞めて、母と二人で食堂やってるんで、ほとんどつきあいはありません」
少なくとも嘘では無い。拓武と出会った当時は社長令嬢で、いわゆる『お嬢様』の範囲にギリギリ含まれてはいたが、今はそうでは無かったし、昔の事を説明する必要も無いだろうと、李江は少しだけぼやかすようにして言った。
寺田、星野、李江で、どことなくひそひそ話のようにして話をしていると、
「ここー、なーに、ひそひそ話してんの」
混ざってきたのは新浦だった。如才なく李江の隣の席に座り、持ってきたスパークリングワインを寺田達に勧めた。
「えー、スパークリングワインなんてあったんだ、新浦さんずるーい」
「だから今配ってるでしょうに、飲み放題メニューにあったよ、まあ、注文しないと出してくれないみたいだけど」
ドリンクカウンターには、赤・白ワインのグラスやデキャンタ、烏龍茶のピッチャーなどが並んでおり、フリードリンクスタイルになっていたが、ビールやカクテルはスタッフに声をかけて持ってきてもらうようになっていた。
星野は新浦からグラスを受け取り、
「じゃーせっかくなんで、もっかい乾杯しましょー」
と、音頭をとり、星野、寺田、新浦、李江の四人でスパークリングワインで乾杯をした。
「沙苗さん、どーよ、芦名さんは」
向かいにいる星野に、『どうですか、お代官様』、とでも言うようなトーンで新浦が話しかける。
「助かりました、李江ちゃん飲み込みが早くて助かってます、よっ!さすが新浦さん、敏腕人事! 適材適所の鬼!」
新浦の言葉に星野がはやすように答えた。酒の席のリップサービスだと思っても、李江はうれしかった。拓武の縁故採用ではと不安だったが、数日ではあったが、一緒に仕事をしている星野に受け入れてもらえているのであればありがたい事だ。
「芦名さんは、どう? 沙苗さんにいじめられてない?」
「とんでもない!よくしていただいてます」
李江は恐縮して肩をすくめた。
「こっちも助かってる、拓武がちゃんと休憩をとってる、一日一回だけど」
新浦がため息をついた。新浦は会社創業メンバーの一人で、社長の三鷹、副社長の拓武とは大学時代の友人だという。
「……? どうゆう事ですか?」
寺田は一気にシャンパンを飲み干し、デキャンタの赤ワインをそそいでいた。
「あー、新浦さんの口癖、一人ブラック企業ってやつ?」
(株)ライジェルは、驚くほど残業が少ない。切羽詰まった案件が無いせいなのか、職場の雰囲気は比較的のんびりしていた。
「そーだよ! ぶっちゃけあそこまで根を詰めてやる必要はないんだ、でもあのワーカホリック男はろくすっぽ休まないからさ、体壊すからやめろって俺と逸生が言っても聞きやしない」
新浦の話では、拓武はいつも『作業場』と呼ばれる個室にこもって黙々と仕事をしているらしい。ハード系のメンテナンスもそこで作業しているらしく、パソコンのパーツや技術書で混沌とした、まさに『作業場』という場所で、基本的に拓武は朝から晩まで閉じこもってそこからほとんど出てこない。専用の冷蔵庫まで持ち込んでいる為、朝、出社時に、飲み物や、栄養補給ゼリーを放り込んで、黙々と気が済むまで仕事に打ち込んでいるのだそうだ。
「その拓武がだよ、この一週間というもの、最低一時間はランチと称して外出して、休憩をちゃんととってる、あとはあれだ、早朝出社……は、まあ、多少多目に見るとしても、大残業を辞めてくれれば……」
よよよ、と、涙をぬぐうポーズで新浦がおどけた。
「でも、脇田サンちって会社の近所なんでしょ?歩いて通えるって」
星野が合いの手を入れた。
「そう、だから終電も関係ない」
新浦もスパークリングワインを飲み干したので、すかさず寺田が白ワインのグラスを渡した。
「うっわー……」
寺田も若干ひいていた。
「あ、でも、来週、李江ちゃんはうちらとランチ行くってさっき約束したんだよねー♪」
星野が李江に握手を求めるので、李江も手を出して応じた。
「え、そうなの?」
ギョッとした新浦が李江の方を見た。
「えっと」
と、李江が驚いて絶句していると、星野が助け船を出した。
「脇田サンも、今日まで、って言ってましたよ、つか、チャットですけど、歓迎会までは自分がランチに連れて行くから、チームでのランチは来週以降にしてくれって」
「昔なじみのお嬢さんが会社に慣れるまでは自分が、って思ってたんですかね?」
と、言ったのは寺田。
「なんだー、そっかー」
あきらかにがっかりした新浦に星野が畳みかける。
「そこまで言うなら新浦サンが脇田サン誘ってランチに出ればいいじゃないですか」
「僕は愛妻弁当があるからダーメ」
「なんスか、それ」
「あ、寺田君にはまだ見せてなかったっけ? 僕の奥さんの写真」
というところで、話題が新浦の家族に変わり、拓武が李江をランチに誘う理由については、これといった結論が無いまま、なし崩しに終わった。
「……そっかあ、じゃあ、別の作戦を考えるしかないかなー」
誰ともなしにつぶやいて、新浦は別のテーブルへ移動していった。『別の作戦』が何をさしていて、新浦にどんな目的があるのかわからないまま、その日のお疲れさま会兼歓迎会は幕を閉じたのだった。
寺田は他の若手スタッフとカラオケ二次会へ行くといい、李江も誘われたが、電車の時間を考え、謹んで辞退し、帰る事にした。(寺田達はオールの予定らしい)星野とは最寄り駅が反対方向な為、一人で歩いていると、誰かが後から追いかけて来た。……拓武だった。
「脇田さん?!」
驚いて立ち止まると、
「駅まで送るよ」
「あれ?でも、脇田さんの家って徒歩圏内って聞きましたけど……」
「時間遅いし、女性一人はあぶないから、このあたり、駅近いけど夜は人通りが少ないからね」
李江の最寄り駅は会社から少し遠い地下鉄の駅だった。大きなターミナル駅の方が繁華街にあったが、そちらまで行くと途中乗り換えがある為、乗り換えの少ない方の駅を使う事にしていた。
「あ……、ありがとうございます」
もしかしたら、赤面しているかもしれない。酒のせいだと思ってもらえるだろうかと気にしながら、李江は拓武と並んで歩きはじめた。
「時間は? まだ大丈夫?」
「あっ……はい、終電が、まだ……」
と、言い掛けたところで、駅方面から反対方面に向かって、急ぎ足で歩く人が数名、李江達の横を駆け抜けて行った。
奇妙に思いつつ、駅までたどりつくと、ひとつしかない改札口に、案内の紙が貼ってあった。
『架線故障の為、振り替え輸送中、終日運休』
急いでいた人たちは振り替え輸送の為に、ターミナル駅まで戻ろうとしている人達だったのだ。
あわててスマホで経路情報を確認したが、今からだと、走って戻っても終電ギリギリになりそうだった。しかも、仮にターミナル駅まで戻って終電に乗れたとしても、乗り継ぐ予定の路線は運休している為、途中からはタクシーになってしまう。
「どうしよう……今から、二次会に混ぜてもらって、朝まで時間をつぶさせてもらった方がいいかな……」
李江がつぶやくと、決意したように拓武が言った。
「あー、じゃあ、うち、来る? ここから歩いて十分くらいだけど」
「ここねー、ランチも美味しいんだよ」
李江の近くに座っている、同じチームの星野沙苗(ほしのさなえ)が赤ワイン片手に教えてくれた。
「今度一緒に来ようね、なーんか、入社以降ずーーーっと脇田サンに持ってかれちゃってたけど、来週、ね」
星野は李江より三つ年上の二十九歳。李江同様中途採用だが、既に入社して二年になるのだそうだ。ほがらかで話やすい女性で、デスク周りはかわいらしいグッズで埋め尽くされるほどにキャラクターグッズ好き。ゆるキャラがツボらしく、ほんわかした空間を作っている。
「脇田さんと言えば、俺、あの人があんなにしゃべる人だと思わなかった」
もう一人は寺田滋斗(てらだしげと)。二十五歳で、入社一年目。ガタイがよく、どこから見てもスポーツマンといった風貌で、半袖のポロシャツから除く二の腕はたくましいが、特にスポーツはやっていないらしい。
鍛えるのが好きなんだって、ナルシスト? ってやつ。と、星野は言う。
「朝、会社来る途中に捕まって、話しかけられたから、何かと思ったら、しばらく芦名さんは自分がランチに連れて行くから、チームでのランチは歓迎会以降にしてくれってさ」
「私はチャットで言われた。グループチャットじゃなくて直接きたから何かと思ったよ……」
そう言って星野は遠い目をする。よっぽど驚いたのだろう。
「脇田さんて、リアルも無口ですけど、チャットでも文章になってないっつーか」
苦笑しながら寺田も言う。
「基本単語だよね、それが、ちゃんと文章打ってて驚いた、アレ、下手したらエディタで一度文書作成してるよね」
しばし、星野と寺田の脇田評が続いた。おおっぴらに拓武の話ができるのは、今現在拓武がこの場にいないからでもある。何でも、急な対応が一件入ったのだと、拓武他数名がまだ社に残っているようで、全員揃ってはいなかったのだ。
「で、さ、李江ちゃんと脇田サンってどういう関係なの?」
声をひそめるようにして星野が言ったが、周辺も静かになって、李江は絶句する。
「え……っと」
どうしよう、と、李江が困っていると、
「父親同士が知り合いなんだ」
いきなり拓武が話に加わった。
拓武を含めた遅れていたメンバーがやって来たのだった。
李江は、驚いて、はやる鼓動を必死に抑えていたが、全員揃ったところで、と、再び乾杯が始まるなどして、周囲がざわつき出した。
拓武は社長の三鷹に呼ばれて別のテーブルへ移動し、再び李江は星野と寺田から質問を受ける事になった。
「幼なじみとか、そんな感じ?」
と、寺田。
「いえ、それほどつきあいがあったわけではないんです。一度会っただけで……」
「そういえば、脇田サンのお父さんって、食品メーカーの社長なんだっけ」
ふいに思い出したように、星野が言った。
「え?!マジっすか? 脇田さんって御曹司?」
寺田は驚きつつも、拓武の耳に入らないよう配慮して声を抑えるようにして言い、続ける。
「じゃあ李江ちゃんもお嬢様とか?」
寺田に合わせるように李江も小さな声で言った。
「いえ、単に昔取引先だったってだけです、今、父は会社は辞めて、母と二人で食堂やってるんで、ほとんどつきあいはありません」
少なくとも嘘では無い。拓武と出会った当時は社長令嬢で、いわゆる『お嬢様』の範囲にギリギリ含まれてはいたが、今はそうでは無かったし、昔の事を説明する必要も無いだろうと、李江は少しだけぼやかすようにして言った。
寺田、星野、李江で、どことなくひそひそ話のようにして話をしていると、
「ここー、なーに、ひそひそ話してんの」
混ざってきたのは新浦だった。如才なく李江の隣の席に座り、持ってきたスパークリングワインを寺田達に勧めた。
「えー、スパークリングワインなんてあったんだ、新浦さんずるーい」
「だから今配ってるでしょうに、飲み放題メニューにあったよ、まあ、注文しないと出してくれないみたいだけど」
ドリンクカウンターには、赤・白ワインのグラスやデキャンタ、烏龍茶のピッチャーなどが並んでおり、フリードリンクスタイルになっていたが、ビールやカクテルはスタッフに声をかけて持ってきてもらうようになっていた。
星野は新浦からグラスを受け取り、
「じゃーせっかくなんで、もっかい乾杯しましょー」
と、音頭をとり、星野、寺田、新浦、李江の四人でスパークリングワインで乾杯をした。
「沙苗さん、どーよ、芦名さんは」
向かいにいる星野に、『どうですか、お代官様』、とでも言うようなトーンで新浦が話しかける。
「助かりました、李江ちゃん飲み込みが早くて助かってます、よっ!さすが新浦さん、敏腕人事! 適材適所の鬼!」
新浦の言葉に星野がはやすように答えた。酒の席のリップサービスだと思っても、李江はうれしかった。拓武の縁故採用ではと不安だったが、数日ではあったが、一緒に仕事をしている星野に受け入れてもらえているのであればありがたい事だ。
「芦名さんは、どう? 沙苗さんにいじめられてない?」
「とんでもない!よくしていただいてます」
李江は恐縮して肩をすくめた。
「こっちも助かってる、拓武がちゃんと休憩をとってる、一日一回だけど」
新浦がため息をついた。新浦は会社創業メンバーの一人で、社長の三鷹、副社長の拓武とは大学時代の友人だという。
「……? どうゆう事ですか?」
寺田は一気にシャンパンを飲み干し、デキャンタの赤ワインをそそいでいた。
「あー、新浦さんの口癖、一人ブラック企業ってやつ?」
(株)ライジェルは、驚くほど残業が少ない。切羽詰まった案件が無いせいなのか、職場の雰囲気は比較的のんびりしていた。
「そーだよ! ぶっちゃけあそこまで根を詰めてやる必要はないんだ、でもあのワーカホリック男はろくすっぽ休まないからさ、体壊すからやめろって俺と逸生が言っても聞きやしない」
新浦の話では、拓武はいつも『作業場』と呼ばれる個室にこもって黙々と仕事をしているらしい。ハード系のメンテナンスもそこで作業しているらしく、パソコンのパーツや技術書で混沌とした、まさに『作業場』という場所で、基本的に拓武は朝から晩まで閉じこもってそこからほとんど出てこない。専用の冷蔵庫まで持ち込んでいる為、朝、出社時に、飲み物や、栄養補給ゼリーを放り込んで、黙々と気が済むまで仕事に打ち込んでいるのだそうだ。
「その拓武がだよ、この一週間というもの、最低一時間はランチと称して外出して、休憩をちゃんととってる、あとはあれだ、早朝出社……は、まあ、多少多目に見るとしても、大残業を辞めてくれれば……」
よよよ、と、涙をぬぐうポーズで新浦がおどけた。
「でも、脇田サンちって会社の近所なんでしょ?歩いて通えるって」
星野が合いの手を入れた。
「そう、だから終電も関係ない」
新浦もスパークリングワインを飲み干したので、すかさず寺田が白ワインのグラスを渡した。
「うっわー……」
寺田も若干ひいていた。
「あ、でも、来週、李江ちゃんはうちらとランチ行くってさっき約束したんだよねー♪」
星野が李江に握手を求めるので、李江も手を出して応じた。
「え、そうなの?」
ギョッとした新浦が李江の方を見た。
「えっと」
と、李江が驚いて絶句していると、星野が助け船を出した。
「脇田サンも、今日まで、って言ってましたよ、つか、チャットですけど、歓迎会までは自分がランチに連れて行くから、チームでのランチは来週以降にしてくれって」
「昔なじみのお嬢さんが会社に慣れるまでは自分が、って思ってたんですかね?」
と、言ったのは寺田。
「なんだー、そっかー」
あきらかにがっかりした新浦に星野が畳みかける。
「そこまで言うなら新浦サンが脇田サン誘ってランチに出ればいいじゃないですか」
「僕は愛妻弁当があるからダーメ」
「なんスか、それ」
「あ、寺田君にはまだ見せてなかったっけ? 僕の奥さんの写真」
というところで、話題が新浦の家族に変わり、拓武が李江をランチに誘う理由については、これといった結論が無いまま、なし崩しに終わった。
「……そっかあ、じゃあ、別の作戦を考えるしかないかなー」
誰ともなしにつぶやいて、新浦は別のテーブルへ移動していった。『別の作戦』が何をさしていて、新浦にどんな目的があるのかわからないまま、その日のお疲れさま会兼歓迎会は幕を閉じたのだった。
寺田は他の若手スタッフとカラオケ二次会へ行くといい、李江も誘われたが、電車の時間を考え、謹んで辞退し、帰る事にした。(寺田達はオールの予定らしい)星野とは最寄り駅が反対方向な為、一人で歩いていると、誰かが後から追いかけて来た。……拓武だった。
「脇田さん?!」
驚いて立ち止まると、
「駅まで送るよ」
「あれ?でも、脇田さんの家って徒歩圏内って聞きましたけど……」
「時間遅いし、女性一人はあぶないから、このあたり、駅近いけど夜は人通りが少ないからね」
李江の最寄り駅は会社から少し遠い地下鉄の駅だった。大きなターミナル駅の方が繁華街にあったが、そちらまで行くと途中乗り換えがある為、乗り換えの少ない方の駅を使う事にしていた。
「あ……、ありがとうございます」
もしかしたら、赤面しているかもしれない。酒のせいだと思ってもらえるだろうかと気にしながら、李江は拓武と並んで歩きはじめた。
「時間は? まだ大丈夫?」
「あっ……はい、終電が、まだ……」
と、言い掛けたところで、駅方面から反対方面に向かって、急ぎ足で歩く人が数名、李江達の横を駆け抜けて行った。
奇妙に思いつつ、駅までたどりつくと、ひとつしかない改札口に、案内の紙が貼ってあった。
『架線故障の為、振り替え輸送中、終日運休』
急いでいた人たちは振り替え輸送の為に、ターミナル駅まで戻ろうとしている人達だったのだ。
あわててスマホで経路情報を確認したが、今からだと、走って戻っても終電ギリギリになりそうだった。しかも、仮にターミナル駅まで戻って終電に乗れたとしても、乗り継ぐ予定の路線は運休している為、途中からはタクシーになってしまう。
「どうしよう……今から、二次会に混ぜてもらって、朝まで時間をつぶさせてもらった方がいいかな……」
李江がつぶやくと、決意したように拓武が言った。
「あー、じゃあ、うち、来る? ここから歩いて十分くらいだけど」