マリンシュガーブルー

 刑事から知っている男かと聞かれたから『常連だった』としか答えていない。それ以降も、どのような男だと判明したとか、見つかったとか、逮捕したとかの報告もない。

 それだけ迅速に手際よく彼は逃走することができたのだろう。

「忘れよう、宗佑。お店のことだけいまは考えよう」

 姉からあの彼のことを口にしない意志をみせたので、宗佑も『わかっている、そうする』とそれ以上話題を引き延ばそうとしなかった。

 その夜、いままで見たことがない女性客がふたり、来店があった。華やかなOLさんという雰囲気ではない、ちょっとお堅いスーツ姿の女性がふたり。はしゃぐような喋り方もせず、淡々と食事をして精算をしていった。

 その翌日もランチには男性の二人組が、一組、二組と違う時間に入ってきた。
 その数日後には、お醤油屋の女将さんが『大変だったわね。まかせて。またお友達連れてきて、大丈夫だって宣伝するから』とランチをしていってくれた。

 それから少しずつ、少しずつ、お客様が戻ってきた。
 人の出入りを確認できたからなのか、顔なじみだった奥様達やママさん達もちょこちょこ少人数で来てくれるようになった。

「子供と一緒に来ていたからね、そんな人も出入りしていたんだと思ったら、ちょっと怖くなったのよ。でもね、行けなくなると思ったら寂しくて、お気に入りだったのよ。それに、うちの子、ここのお魚だけはちゃんと食べられてたのよね。マスターに作り方教わりたいぐらいよ」

 ママさんから初めてそんな言葉をかけてもらえた。それを聞いた弟と義妹が『出し惜しみせずに、子供が食べられるお魚レシピのチラシを店内で配ろう』というサービスの準備を始めた。

 事件が起きてから半月、少しずつ回復していく。これまでの積み重ねが、真面目にやってきたことが、本当はお客様に伝わっていた? そう思いたい。




< 52 / 110 >

この作品をシェア

pagetop