マリンシュガーブルー
 なのに、恋人の栄転をきっかけに、女の自分だけ上手く軌道に乗れなくて、自分で勝手に脱落してめげていた。でも違う。あの人に出会ってから、美鈴の中にあるものががらっと変わってしまう。『私、こんなふうに見つけられるし、こんなふうに勇気が出るんだ』と知ったから。

 あの人とはもう会えそうにない。だけれど、彼が美鈴にそんなことを残してくれたと思っている。
 最後のお客様が精算を済ませた。

「オレンジティー、オレンジティー」

 待ちに待ったお茶タイム、まだレジ締めがあるけれど、それを楽しみにしてアイスティーにオレンジの輪切りを入れて冷やしてある。

「お茶する前に、灯り落として来いよ」
「もう、わかってるよ」

 弟に窘められ、美鈴はオレンジティーをグラスに注いでレジまで持っていき、ひとまず入口のガラスドアへと向かう。
 看板の灯りを落として、ドアの上の照明も落として、クローズの札にかけ直す。

「おしまいですか」

 静かな声に、美鈴はどきりとして振り返る。
 暗がりになる店先、そこに人がいる。
 だがあの人ではない。着物姿の女性だった。

「はい。たったいま。もしかしてお食事をお探しですか。よろしければ店長に間に合うか聞いて参ります」

 着物姿の女性が優しく微笑み、首を振った。

「ありがとうございます。ですが違います」

 だったら何故? 訝しむ美鈴をまっすぐ見つめるその女性が言った。

「このお店に通っていた人についてお聞きしたいのです」
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