元ヴァイオリン王子の御曹司と同居することになりました
「隣に座れた幸運に感謝しました」

「希奈さんが羨ましいなぁって思って、次は僕の隣で弾かせようと心に決めました。飛び抜けて上手い人は聴くだけでなく見ても楽しいですからね。本当に彼はすごかった。対抗心とか嫉妬心が起きないくらい、圧倒的に」

……出海君でも、対抗心とか嫉妬心があるってことに驚いた。そんなマイナス感情とは縁遠い人だと思ってた。

「それなら、私からすれば出海君もすごかったですよ。ショスタコのソロ、今でも覚えてます」

ショスタコーヴィチの交響曲第5番には、第1楽章ラストと第2楽章にコンマスによるヴァイオリンソロがある。出海君は難なくこなしていて、私は後ろの席から聴くのを、いちヴァイオリン弾きとして楽しみにしていた。

折角の機会なので、ずっと感じていたことを伝えようと思った。

「それまでも充分上手くて聴くのを楽しみにしてたんですけど、ホールリハで、三神君を客席に行かせてアドバイス求めてましたよね。なかなかできることじゃないな、すごいなって、尊敬しました」

出海君は恥ずかしそうに笑った。

「凡人が人前でソロを弾くには、玄人からの客観的なアドバイスが不可欠でしょう?」

年下にそれを求めることができるんだから、人間ができてる。

「今は、全然弾かないんですか?」

「ええ」

もったいない、という言葉は飲み込んだ。
彼の生活を見ていたら、呑気な言葉をかけるのは憚られて。

出海君は、左手をヴァイオリンを弾く形に構えた。

「この格好するだけで、関節は硬くなってるし、筋肉落ちてるのがわかります」

うわ。

……心臓痛い。

……あまりに格好良くて。

大学時代にも、出海君の弾き姿が美しくて見惚れていたけれど、あくまで別世界の王子様を鑑賞するようなものだった。

だけど今、好きだと自覚してる相手が、目の前で綺麗なヴァイオリンの構え方をするものだから、心臓が痛いくらいにドキドキする。

しなやかな腕から手首へのライン。
手の甲に浮き出た筋。
親指の反り具合。
四本の指の曲がり具合。

……こんなに、色っぽいのは、反則だよ。
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