可愛げのない彼女と爽やかな彼氏
「別れるとき、南美さんは本当に辛そうでした。お嬢様も泣いて泣いて、本当に可哀想でした」


それからと言うもの、佳苗さんは母と手紙のやり取りをし、私の事を知らせていたらしい
母も必ず返事を佳苗さんに書いていたという
私が児童福祉施設に預けられてもそのやり取りは続き、私が10才になった頃、母は佳苗さんに会いに来た
それは、本当に10年振りに


「いきなり南美さんが会いにきたのでびっくりしました。どうしたの?と聞いたら、嬉しそうにこう言ったんです。『奈南美を迎えに行こうと思います』って」


母は、佳苗さんに住み込みの家政婦として家に来てくれないかとお願いしたらしい
自分は仕事が忙しい、私に寂しい思いをさせたくないからと
佳苗さんは二つ返事で引き受けてくれた
そして母は、私を引き取る為の準備を嬉しそうにしていたというのだ


「服や家具、おもちゃや部屋の内装まで、全部南美さんがお嬢様の為に選んでいました。そして、迎えに行く日がやってきた。お嬢様、施設から引き取られた日の事を覚えていますか?」
「ええ、覚えてる。でも……」
「そうです。南美さんは迎えには行かなかった」
「え、何で?」


相川くんが不思議に思ったのか、口を開いた
佳苗さんは小さく息を吐いて、話を続けた


「あの日、電話がかかってきたんです。その電話が、南美さんの顔を一変させました。電話を切った後、しゃがみこんでうわ言のように呟いていました。『何で今日なの?どこまで私を追い込むの?奈南美は私が産んだ子よ。絶対に渡さない』と……」


そして母は私を迎えには行かず、仕事に行った
私が母に会ったのは、それから3日後
その間佳苗さんに「お母さんはまだ帰って来ないの?」と何度聞いたか分からない
初めて会った母は、酷く疲れた顔をしていたのを覚えている
私を見て母が言った言葉は


「何時だと思ってるの。早く寝なさい」


母はそれから1度も私に優しい言葉を言うことはなかった


「あれだけ待ち望んでいたのに、南美さんはお嬢様を可愛がろうとはしなかった。私は何度も聞きました。あの電話はなんだったのか。何を1人で背負い込んでいるのか。眠っているお嬢様を抱き締めるぐらいなら、何故普通に抱き締めてあげないのか。でも南美さんはただ寂しげに笑うだけで言ってはくれませんでした」


ちょっと待って
佳苗さん、今何て言った?
眠っている私を抱き締めていた?


私が何を思っているのかが分かったのか、佳苗さんは私の手を握り締めた


「そうなんです。南美さんはほとんど毎日、仕事から帰って来ると私に聞くんです『奈南美はもう寝た?』って。もう寝ましたよと言うと、真っ先にお嬢様の部屋に行って、熟睡しているお嬢様を抱き締めていました。たまに添い寝をされていて、私が起こしに行くこともありました。お嬢様は1度寝てしまうと、なかなか目を覚まさないので、気付かれなかったでしょう?」


ふふっと笑う佳苗さんを、私は信じられないという顔をしてみていた


「お嬢様。お嬢様は南美さんそっくりです」
「まさか!」
「確かに顔は似ていません。でも、相川さん?」
「はい?」


突然話を振られて相川くんはびっくりしている


「お嬢様は仕事は出来るけど、普段はとても不器用じゃありません?そして、なんでも1人で背負い込んでしまっていませんか?」


佳苗さんにそう聞かれて、相川くんは吹き出した
それを見て私は軽く睨む


「何で笑うの?」
「だって、その通りだったから」
「もうっ」


私達のそんなやり取りを見て佳苗さんはニコニコ笑っている


「確かに南美さんはお嬢様を可愛がりはしませんでした。それは不器用な南美さんが何か事情があって、そんな態度をとらざるを得なかったんだと思います。でも冷たく突き放すことは出来なかった。お嬢様、思い出してみて下さい。南美さんがお嬢様に言った言葉は冷たいものばかりでした。でも、その言葉の端々にはお嬢様への愛情が隠れているんですよ」
「私への愛情?」


首を傾げる私に佳苗さんは優しく頷いた


「『早く寝なさい』と言ったのは、『明日は学校なんだから、起きれないわよ』の裏返し。『なんで1番になれないの?』と言ったのは『あなたはまだやれるはず』の裏返し……」
「『体調管理はしっかりしなさい』は、『疲れてるならちゃんと休みなさい』の裏返し?」


相川くんが先日のパーティーで母が言った言葉を言った


「きっとそうです。南美さんは昔からお嬢様の顔を見て、体調が悪いかどうかは一目で分かっていましたから」


何も言えないでいる私を、佳苗さんは真っ直ぐ見て言った


「お嬢様は、南美さんに愛されてきたんですよ」




佳苗さんのお見舞いを終えて車に乗ると、相川くんに顔を覗き込まれた


「どうしたの?」
「いや、何か言いたそうだなぁと思って」


そう言って、相川くんはエンジンをかけて車を発進させた
私はずっと窓の外を見ていた
窓の外を見たまま、相川くんに言った


「相川くん」
「ん?」
「私」
「うん」
「私、あの人と話したい。お母さんって呼びたい」
「分かった」


相川くんはただ一言そう言うと、私の頭を優しく撫でた
その優しさに涙が溢れて止まらなかった
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