奈良まち はじまり 朝ごはん
第三話 『茶粥が見ていた永い恋』
六月になり降り出した雨は、奈良に梅雨を連れてきた。
毎日降り続く雨に三笠山も姿を消して、ここが盆地であることを忘れさせるよう。三笠山は奈良を象徴する山で、三つの山が重なって見えることからその名前がついているらしい。山の形に似ていることから、この地では『どら焼き』のことを『三笠焼き』と呼ぶそうだ。
どうりで、お土産物屋さんにはやたら特大のどら焼きが並んでいるわけだ。
お客さんがひけた昼過ぎ、お茶を飲むころになると、お盆に載せた食事が目の前に置かれる。これで私の休憩時間は終わりを告げる。
「行ってきます」
お盆を手に店を出ると、赤いカサをさして行き止まりの道へ歩く。水たまりになりかけている地面を避けながら石でできた階段の下まで来ると、先を見つめた。
雨のせいで果てしなく暗く見える階段の先に、山門と呼ばれる寺の入口がぼやけて見えている。
何度来てもこの階段を登るのだけは慣れない。
苔が生えていて滑りやすいし、左右にある竹藪も手入れされていないのでホラーっぽい雰囲気が気持ちを萎えさせる。さらに今日は雨なので、カサのせいでお盆が持ちにくくて仕方ない。
「行こう」
自分に気合を入れてお盆を手に一歩ずつ登ってゆく。
案の定、足を取られそうになりながらも安全優先で上まで登ると、ようやく山門の向こうに本堂が顔を出す。
ここが『手葉院』という寺院であることを知ったのは最近のこと。
だって、ただの行き止まりだと思っていたから。実際に、観光客がここに来ているのも見たことがない。
それくらいさびれた古いお寺。階段の下に看板くらい出しておけばいいのに、変わり者の住職の意向で観光客を呼びこむ気はないとのこと。こういうところは、うちの店主と似ている。
その店主である雄也に渡されたのは、お盆に載せられた今日の朝ごはん。
「冷める前に届けろよ」
の命令も、こんな雨ばかりの日々ではやや難易度が高くなっている。
本堂の脇に入ると、古ぼけた小さな扉をノックしてから中に入る。
「和豆さん」
声をかけるが返事はない。和豆さんは、この手葉院のたったひとりの住職だ。