今宵、皇帝陛下と甘く溺れる
「では、今日は私と礼儀作法の基本をやりましょう」

「お手柔らかにお願いします、ララさん」

「まずはお辞儀です」

 笑顔で返される。アリーナのお願いは受け入れられなかったらしい。

「ドゥーブル王国の王様にもお会いすることになるでしょうから、第一印象は大切です。この椅子を玉座だと思ってやってみましょう」

「でも、イメージが湧かないですよ」

「一度私がやってみせますから」

 ララが椅子に向かって立つ。
 そうは言っても、とアリーナは唇を尖らせた。そもそも何故ララなのだろう。礼儀作法ならそれこそセルジュやカディスの方がいいのではないだろうか。

「王様と目を合わせないように。少し目を伏せ、俯きます。今回の訪問はあくまで王様と陛下の問題です。陛下が太陽ならアリーナ様は月です。お邪魔しないように、しかし無礼を働いてはいけません」

 ララの横顔が変わる。突然張り詰めた空気に、アリーナは息をすることさえ彼女の邪魔になるのではないかと不安になった。今まで見ていたララとは全くの別人で。
 そっと伏せられた睫毛の一本一本に神経が通っているようだった。アリーナに話しているはずなのに、歌うようにどこか浮ついた声色。

「左足を右足の後ろに。その時、背筋は伸ばしたまま姿勢よく」

 音を立てず、一切の無駄もなく、あまりに優雅な所作。
 ララは、アリーナには見えない何を見ている。その相手が椅子に──玉座に座っている。

「ドレスの裾を摘み、膝を折ります──」

 王が御座す金と宝石で飾られた豪奢な玉座に向かい、美しいドレスを纏ったララが頭を垂れる。
 一瞬、そんな幻が見えた。

 そのくらいに、ララのお辞儀は絵画の一枚のように完璧で。動けずにいたアリーナより先にララが姿勢を正した。椅子を見つめるララは、悲しみのような憤りのような、言いようのない表情を浮かべていた。

「……これで終わりです。当日はドレスなので足元はそこまで見えませんし、一番気をつけなければいけないのは視線と姿勢ですね。
ドゥーブルの王様は陛下とは違います。生粋の王族は思っている以上に礼儀を重んじますから、まずお辞儀は早くできるようになりましょう」

 ララがエプロンの裾を叩いて直しながら言う。

「ララさん、は。ドゥーブルの王様と知り合いなんですか」

「……なぜでしょう」

「なんていうか、表情とかが」

 椅子を見る。ララは虚をつかれたような顔でこちらを見返した。自覚はなかったのかもしれない。
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