今宵、皇帝陛下と甘く溺れる
アリーナ・コレール。今年で齢19を数えるうら若き少女だ。彼女の目下の悩みは実年齢よりひとつかふたつ下に見られることが多いこと。
アリーナ自身幼く見えないように努力しているつもりなのだが、僅かに舌っ足らずな高い声と平均より低めな身長、可愛らしい顔立ちが、その印象を色濃くしてしまう。
明るい栗色の髪は少し癖っぽいが本人の努力により、比較的真っ直ぐに腰の辺りまで伸びている。仕事中はひとつに結わえられていたので括り紐の跡が微かについていた。
チャームポイントである丸いぱっちりとした瞳も彼女を童顔に見せるのに一役買っている。瞳の色には基本的に暗色が多く、アリーナの宝石のように透き通った翠の瞳は珍しかった。アリーナもそれを少なからず自慢に思っていたが、そのせいで店番をしていても声をかけられることが多かったため少し辟易もしていた。
アリーナは生まれも育ちも下町だ。地名は知らない。お偉い貴族様が住んでいるような場所には名前がついているのかもしれないが、生憎とここにはそんな大層なものは無い。
例えあったとして、アリーナも仕事仲間も皆知らないのだから無いも同然だろう。
下町の賃金は良くて城下町の半分程度。比例して生活水準も低いので身分相応の暮らしで生きていくにはさほど問題はないけれど、煌びやかな町に出ていこうとするには全くもって資金が足りない。
遥か昔に身分制度が始まった時から続く、こういった格差が改善されない理由は簡単だ。“改善する気がないから”。
まどろっこしい言い方をやめて至極簡潔に言うなれば、“下町生まれは下町で朽ちろ”ということ。
まあ言ってしまえば仕方の無いことなのだと、19年もここで生きればいい加減アリーナにもわかる。あの人たちからすれば、自分たちはキッチンの足元を這いずり回る汚いネズミと変わりないのだ。
アリーナはふと自分の体に視線を落とした。それからふっと唇に驚くほど冷たい笑みを浮かべて、呟く。
「それでも……数ヶ月前までとは、随分変わった。びっくりするくらいに」
簡素ながら穴も解れも繕いの跡もないワンピース。麻で作られたそれは、洗濯時に少し気を配れば丈夫で長くもつ。
そんなものでさえ、アリーナたちには今まで簡単に手に入りはしなかった。いつもアリーナも仕事仲間も縫い目だらけでぼろ切れのような限界まで繕った服を着ていたのに、今ではその必要が無い。たったそれだけ、少し身なりが整うだけで、見違えるほどだった。
「……だから……よく、わかった」
アリーナはぎゅうと胸元を握りしめた。見映えは重要だ。相手に与える第一印象はそれでしかないのだから。
だから自分たちは駄目だったのだと、生活の質が上がったからこそアリーナは改めて思い知らされた。
どうせ、本人にそんなつもりはないのだろうけれど。“あの人”は、生まれながらにして階級のピラミッドの頂点に限りなく近い立場なのだから。いや……今となっては頂点そのものか。
アリーナは視線を落とし、道端に何枚も捨てられたうち、比較的綺麗な新聞を1枚拾い上げる。
『クーデター! 非道な国王を打ち倒し、新皇帝カディス・レガッタ・クレミージが即位』
強調された書体で書かれた大見出し。もうあれから随分と時が経つのに、国民たちに刷り込むように度々この記事が載る。
下町に住むアリーナとて例外ではなかったのだから、その思惑は完璧に成功していると言って良いだろう。数ヶ月前──正確には5ヶ月と3週間と3日前に何があったのか、諳んじることができる。