今宵、皇帝陛下と甘く溺れる
四方を国に囲まれた大陸唯一の内陸国、それが旧レガッタ王国。目立った金脈も火山もなく、唯一の利点である海風に晒されない安定した温暖な気候を生かした農作物がこの国の主な生産物であった。それ故国土が拡がることもなく、反対に争いに巻き込まれることも少なく、穏やかで平和な国だった。
しかしレガッタは内陸国故にもう一つの財源を見つけることとなる──それ即ち、貿易。
フィルン、ドゥーブル、ミノルカ、三大国とよばれる国々に接したレガッタは各国と交流を深め、農作物を輸出し、金属や織物を輸入した。
貿易はレガッタに大きな富をもたらした。国民の暮らしは豊かに、楽になった。レガッタは貿易大国となり、農作物を主とする国ながら海を持つ三大国に並び立つほどの力を得た。
ミノルカと友好国の契を結び、フィルンとドゥーブルには警戒されながらも、確固たる地位を築いたのである。
しかし、年月を経ると記憶は薄れてゆく。記録は忘れられていく。
愚かな先代国王はこの豊かさは他国に寄りかかった仮初のものであるということを忘れてしまっていた。レガッタがなぜこれほどの力を得たのか理解していなかった。
それ故に、国民にこう告げたのだ──鍬を剣に持ち替えよ、と。それが12年前のこと。まだ幼かったアリーナにも当時の記憶は鮮明に残っている。
レガッタはフィルンとドゥーブルに侵攻した。当然の如く貿易は止まり、国政はままならなくなった。しかし戦には金がかかる。そのため重税がかせられ、徴兵令が敷かれ、国民の生活はすぐに困窮した。
そしてその愚王を排したのがシレスティアル侯爵家当主、カディス・クレミージであったというわけだ。
彼は有名だった。それは彼がレガッタ王国立騎士団長を務めていたため、そしてそれ以上に彼について回る噂のためであった。彼の戦いぶりは一騎当千という言葉が陳腐に思えるほどであったと。戦場で見る彼の鮮烈な美貌は、彼に続けば必ず勝てると、そう信じ込ませるほどであったと。
彼はレガッタ奮起の象徴だった。
いつ沈んでもおかしくなかったレガッタ王国が戦線をどうにか維持できていたのも彼がいたためだとまことしやかに囁かれている。あまりの強さと美しさに、他国からは敵ながらひっそりと高い地位と財産を与え引き抜こうとする動きもあったという。今となってはそれが真実なのか確かめる術はないが。
そして。
あの数ヶ月前の日、彼はたった一人で王城に攻め入り、ほんの数時間で城を制圧したのだそうだ。騎士団長を務め城の構造を知る彼だからできたことかもしれないが、実際に実行に移すなど正気の沙汰ではない。この話は彼を語る上でかかせないものとなり、彼を生きる伝説とした。
そんな彼が皇帝になり新たな国づくりを行っているとなれば、国が沸き立たないはずがない。集中的に財をこそぎ取られていた庶民の暮らしを楽にし、国に秩序をもたらした彼のことを多くの者が賞賛したという。