今宵、皇帝陛下と甘く溺れる
「あまり喋ると逆に怪しいですよ」

 にっこりと微笑まれ、アリーナはう、と短く唸った。

「まあ、この本のことを黙っていてもらうために交換条件といきましょう。陛下は良い顔はされないでしょうから、このことは内密に」

 小さく頷く。自分のことを詮索されるのはいい気はしない。それはアリーナも分かっていて、それでも知りたいと思うのだ。
 もしこうしていることが見つかって嫌われたとしても、何もわからないままこれから傍にいるよりはずっといい。

「この国では国王に次いで権力があり、それを生かせるだけの能力を持っていたシレスティアル侯爵でしたが、女癖が悪いことで有名でした」

「……その、なんていうか言い方ってものが……」

 思わずぎょっと目を見開く。セルジュは「侯爵家の話をする上で外せないことなので」と肩を竦めた。

「彼には正妻との間に息子と娘が居ましたが、それは?」

 ……正妻との?

 言い回しに若干の違和を感じながらもアリーナは頷く。侯爵に子供がふたりいることは知っている。王子王女には引けを取るものの、侯爵家に子供が生まれた時もそれなりに大きな宴があった。当然、下町の娘であったアリーナはそれを新聞で読んだだけだが。
 名前は……思い出せない。当時の自分はそこまで興味はなかったのだろう。それに引き換えセルジュはやけに詳しいな、と思った。

「ですが侯爵は、ある日若い娘を家に連れ帰ってしまいます。私も一度だけ見たことがありますが、あの人は──とても、とても、とても……美しい方でした。無責任に言わせてもらえば、仕方の無いことだと思いました」

 セルジュは熱に浮かされるように、ふわふわとした口調で囁いた。彼の目には、きっとその人の姿が映っている。
 いつもなんだかんだと冷静な彼の、初めて聞く声だった。

「でも、それだけならまだ良かった。一番の問題は、彼女が男児を産んでしまったこと」

「問題?」

「割と貴族にはありがちなことですね」

「それは……まさか、跡継ぎ、とか」

 控えめに言ったアリーナにセルジュが微笑んだ。

「あなたが聡くて助かります。侯爵は優秀だった彼女の息子をいたく気に入っており、彼に家を継がせるかもしれないと言い出しました。そうなると流石に正妻も黙ってはいられません。彼女亡き後、彼女の息子を家から追い出したのです」

 口ぶりでなんとなくわかった。その息子が、カディスなのだろう。
 しかし、追い出されたはずの彼が今は侯爵家の当主になっている。一体、何がどうなって──

「アリーナ」

 びくり、と肩を跳ね上げる。振り返ると、カディスが立っていた。
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