今宵、皇帝陛下と甘く溺れる
共にありたいと願っても
◇◇

「よく来られた、『無敵の皇帝陛下』殿」

「こちらこそこうしてお目にかかれて光栄ですよ、国王陛下」

 カディスは形式ばかりの礼をすると、玉座に向かって薄く微笑んだ。

 ドゥーブル国王、ルグマ・ドゥーブル・エルンレイド。5年前に先代国王が崩御して、直系の息子であった彼が跡を継いだ。ドゥーブルは基本的に世襲制で、それゆえ政治の方針が変わることはまずない。
 また、王子しか王位継承権がないので王女は大抵有力貴族に降嫁させられる。察してしかるべきだが、ドゥーブルは国として男尊女卑の傾向がある。

 まだ代替わりしてから日が浅く、ルグマもカディスと大して歳も政治に関わった長さも変わらないと聞いているが、果たして。

「何度も手紙を送っても返事がございませんので、まさか病床に臥せっておられるのやもしれぬと心配しておりましたが。非常にお元気そうで何よりです」

 ルグマはカディスの皮肉を鼻を鳴らして聞き流した。

「余は痺れを切らして汝単身飛び込んでくるのを待っておったがな。だがそれも飽いた。なあ、『王殺し』よ。その気になれば、一人でもこの国をも滅ぼせよう?」

「私が今望んでいるのは、ただ停戦のみです」

「……ほう」

 可能だということを否定はせず返したカディスに、ぴり、と空気が凍りつく。

「今更、よくもまあそのような白々しい顔をして言うものだ」

 ルグマは唇を嘲笑の形に歪めた。

「ところで、話に聞いていた婚約者とやらの姿が見えぬようだが」

 カディスは初めて目を泳がせた。斜め後ろに控えたララの視線を感じながら言う。

「申し訳ありませんが、体調が優れないので今回の訪問は控えさせていただきました。またの機会にということで」

「残念だな。婚約者なら、人質を変えてやってもいいかと思ったが……」

「そのために連れてくると申し上げたのではありません」

 強い口調で睨みつけたカディスにルグマが僅かに驚いた様子で目を見張る。

「わかっておる。現に連れてきておらんしな」

 カディスは唇を噛み、内心頭を抱えた。この程度で動揺してどうする。
 手放すと決めたのは、実際にそうしたのは、自分だろうに。

 微かに息をついたカディスは、何やら外が煩いことに気がついて視線を向けた。ルグマも同じようで、眉根を寄せてカディスの背後にある扉を見る。

 どたばたと何人かが追いかけ合うような音がして、両開きの扉の隙間から一人飛び込んできた。

 風に煽られて乱れた栗色の髪がふわりと宙に躍る。あの夜出会った時のような質素なワンピースに、何故か大振りのかごを抱えている。
 少女は思わず噛みつきたくなるような透き通る白い肌を桃色に染め、ぜいぜいと大きく肩で息をした。

「もー……っ、ララさん全部これ見せれば大丈夫って言ったくせに……!」

 こんな場所で、彼女だけはいつものように不機嫌そうな表情をして。その頬を膨らませた顔がどれほどに愛らしいのか、彼女自身はわかっていないのだろう。

 そこまで考えて、目を逸らした。

 いや──ありえない。彼女がここにいるはずがない。
 酷いことを言って、突き放したのだ。貴族嫌いの彼女は、きっとこれ以上になく自分のことを嫌いになったに違いない。身勝手な自分とはもう、関わり合いになりたくないと思ったに違いないのだ。

 自分は、夢を見ているのだろうか。願望がついに形を成してしまったのだろうか。

「……アリーナ」

 震える声で彼女の名を囁くと、翠の双眸がこちらを見据えた。
 宝石を閉じ込めようとも、この輝きを真似ることはできない。夜闇に鏤む星々を砕いて詰め込んで、朝露に煌めく新緑を映しでもしなければ。

 ──ああ……本物、だ。

 彼女の熟れた果実のように潤んだ唇が開く。

『ば』

『か』

 あまりに子供じみた悪態に、動きを追ったカディスは苦笑した。
 やはり、今度こそ嫌われてしまったか。

 しかしそうだとすれば、どうして彼女はここにいるのだろう──
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