今宵、皇帝陛下と甘く溺れる
 かつかつと小気味よくヒールを鳴らし、豪奢なドレスのたっぷりとした裾を摘んだ少女が部屋に入ってくる。
 緩く巻かれた艶やかで豊かなストロベリーブロンドの髪に、愛らしいぱっちりとしたヘーゼルの瞳。それを縁取るように生え揃った長い睫毛が、白磁のように滑らかな頬に影を落としている。触れれば溶けてしまいそうに繊細だ。
 人形めいた美貌の少女は綺麗に紅の引かれたつやつやとした小ぶりな唇をぱかりと可愛らしく開き、

「カディス!」

 と、満面の笑みで呼ばわった。

「ずっとずっと、会いたかったわ!」

 そのまま駆け寄ってくると、カディスに体当たりするように抱きつく。しかしカディスは抵抗することなく、それどころか少女の背に手を回した。

「……アリスティア」

 ──『ティア』。

 アリーナは音がするほど鋭く息を呑んだ。

 じゃあ、この子が……カディスの想い人──

 ぐわん、と世界が揺れた。視界が端から黒く塗りつぶされて、周りの音が聞こえなくなっていく。

「すまない、遅くなった。不自由しなかったか」

「うーん、まあドゥーブルの方がレガッタよりお金があるのは間違いないわね。何でも言ったら出てきたもの」

 唇に指を当てて宣ったアリスティアに、カディスがまったく、と苦笑する。

「お前が手荒な扱いをされていないようで良かった」

 カディスは優しく微笑んで、アリスティアの頭を軽く撫でた。

 ──いや。やめて。そんな顔しないで。

 ぐしゃり、と胸の奥がナイフで抉られたように痛む。誤魔化そうと深く息をしても、その度に痛みは鋭くなる。心の一番柔らかい部分が、何度も、何度も、執拗に潰されるような、そんな気分だ。

 息ができない。浅瀬に打ち上げられて藻掻く魚のように、情けなくぱくぱくと口を開ける。

 アリーナは微かによろめいたが、必死に踏ん張った。この程度のことで情けない。きっと想い合えないとわかっていて、それでもいいと、傍にいたいと自分で決めて戻ってきたのだ。

 それなのに。こうしていざ本当に目の当たりにすると、感情がままならな過ぎて、まるで自分が自分でないような、そんな錯覚に陥るほどに動揺していた。

「アリーナ様?」

 様子がおかしいことに気がついたのか、ララがこちらをうかがってくる。

「何でも、ない、です……」

 その声でやっとアリーナの存在を認識したのか、アリスティアがこちらを見た。

「あら? 初めて見る方がいらっしゃるわね」

「……アリーナです」

 思わず至極素っ気なく名乗ってしまったアリーナははっと我に返る。しかしアリスティアは気にした様子もなく小さく手を叩いた。

「ああ、貴女がアリーナなのね。カディスからの手紙で読んだわ」
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