今宵、皇帝陛下と甘く溺れる
「……痛いわね」
唐突にアリスティアが手を握り締める。ほっそりとした白い指から血が滲んでいた。
「私ったらついうっかりして、少し切ってしまったわ」
いやになめらかにそう言うや否や、止めるまもなく席を立つ。身を乗り出すと、向かいに座るカディスの口に指を突っ込んだ。
虚を突かれたように目をみはったカディスは、直ぐにその手を掴むとナプキンで強く拭う。
感情をあらわに鬼のような形相で少女を睨みつけた。
「おい、アリスティア!!」
「なぁに、怖い声出して。いつもしていたことなのに」
アリスティアの視線がちらりとこちらを向く。
「カディスは、ずっと私なしでは生きられなかったでしょ?」
からん! と甲高い音が広い部屋に響き渡った。驚いたように演奏も止まる。
「あ……」
アリーナが食器を取り落としたのだ。手から零れたナイフとフォークが皿に跳ねてテーブルから滑り落ち、床に転がる。
「ご、ごめんなさい」
慌てて拾い上げようと屈んだアリーナははっとして固まった。確か、食器を落とした時は自分で拾ってはいけなかったのでは──
その姿勢のまま身動きが取れなくなったアリーナは小刻みに震えた。焦って、頭が真っ白になって、何も考えられなくなる。
「っ、」
──恥ずかしい。
「……席を……外します」
どうにかこうにかそれだけ口にして立ち上がる。しんと静まり返った部屋にアリーナのとても美しいとは言い難い不揃いなヒールの音だけが響く。
ついてこようとする侍従を振り払って部屋を出る。ドレスの裾をたくしあげ、一心不乱に広い廊下を駆けた。
どれほど走ったのか、バルコニーに突き当たってアリーナは立ち止まった。誰もいない。そのことにほっとしてアリーナはぺたりと床に座り込んだ。
履き慣れない高いヒールはやっぱり負担で、無茶をしたせいもありひりひりと足が痛んだ。脱ぎ捨て、傍らに放り投げる。ララが結い上げてくれた髪も乱れて顔にかかって、髪飾りが浮いていた。流石に見栄えが悪いからとドレスも着させられてはいたが、それも我ながら似合っているとは思えなかった。いくら外見を変えたって、中身は変わらない。
こんなに自分が滑稽だとは思っていなかった。
鼠をどれだけ大切に育てても、決して宝石にはならない。そのくらい、自分がどれほど愚かであろうとわかる。
「アリーナ様」
名前を呼ばれて振り返ると、ララが立っていた。綺麗に着飾った姿は、こうして改めて見ると気品に溢れている。どうして今まで気がつかなかったのだろう。
ララにさえも、ほんの少しだけ、妬ましい、と思った。
唐突にアリスティアが手を握り締める。ほっそりとした白い指から血が滲んでいた。
「私ったらついうっかりして、少し切ってしまったわ」
いやになめらかにそう言うや否や、止めるまもなく席を立つ。身を乗り出すと、向かいに座るカディスの口に指を突っ込んだ。
虚を突かれたように目をみはったカディスは、直ぐにその手を掴むとナプキンで強く拭う。
感情をあらわに鬼のような形相で少女を睨みつけた。
「おい、アリスティア!!」
「なぁに、怖い声出して。いつもしていたことなのに」
アリスティアの視線がちらりとこちらを向く。
「カディスは、ずっと私なしでは生きられなかったでしょ?」
からん! と甲高い音が広い部屋に響き渡った。驚いたように演奏も止まる。
「あ……」
アリーナが食器を取り落としたのだ。手から零れたナイフとフォークが皿に跳ねてテーブルから滑り落ち、床に転がる。
「ご、ごめんなさい」
慌てて拾い上げようと屈んだアリーナははっとして固まった。確か、食器を落とした時は自分で拾ってはいけなかったのでは──
その姿勢のまま身動きが取れなくなったアリーナは小刻みに震えた。焦って、頭が真っ白になって、何も考えられなくなる。
「っ、」
──恥ずかしい。
「……席を……外します」
どうにかこうにかそれだけ口にして立ち上がる。しんと静まり返った部屋にアリーナのとても美しいとは言い難い不揃いなヒールの音だけが響く。
ついてこようとする侍従を振り払って部屋を出る。ドレスの裾をたくしあげ、一心不乱に広い廊下を駆けた。
どれほど走ったのか、バルコニーに突き当たってアリーナは立ち止まった。誰もいない。そのことにほっとしてアリーナはぺたりと床に座り込んだ。
履き慣れない高いヒールはやっぱり負担で、無茶をしたせいもありひりひりと足が痛んだ。脱ぎ捨て、傍らに放り投げる。ララが結い上げてくれた髪も乱れて顔にかかって、髪飾りが浮いていた。流石に見栄えが悪いからとドレスも着させられてはいたが、それも我ながら似合っているとは思えなかった。いくら外見を変えたって、中身は変わらない。
こんなに自分が滑稽だとは思っていなかった。
鼠をどれだけ大切に育てても、決して宝石にはならない。そのくらい、自分がどれほど愚かであろうとわかる。
「アリーナ様」
名前を呼ばれて振り返ると、ララが立っていた。綺麗に着飾った姿は、こうして改めて見ると気品に溢れている。どうして今まで気がつかなかったのだろう。
ララにさえも、ほんの少しだけ、妬ましい、と思った。